2010年12月28日火曜日
仕事納め
今日は仕事納めの日です。
一年間の汚れを落とし、神棚にお供えをし、手造りの門松を飾って
今日の仕事が終わります。
あっという間の一年間でした。
今年の春は新しく立ち上げた工場、福州の事で頭がいっぱいでした。
やっと福州が工場らしくなり始めた頃、日本の縫製現場の事で
頭がいっぱいになりました。
次は裁断場でした。
一つ一つあるべき姿を追い求めていきました。
なぜ、一年の最後の仕事の日を、納めと言うのでしょう。
納めるとはどんな意味があるのでしょう。
多くの人の力で 今日のリミットが支えられています。
来年は、非常に厳しい年と予測されています。
感謝の心を忘れないで、新しい年を迎えたいと思います。
2010年12月20日月曜日
門松
くねった山道を登ってたどり着いたのは、
平家の落ち武者が隠れ住んだと聞く山里です。
目当ては竹の木
急な山肌に沿って何本もの竹たちが、まっすぐ空を見上げています。
節には小枝がすっと横に伸び小さな葉っぱが小枝と一緒に揺れています。
中でもまっすぐにすっと伸びた若木を、二本きって帰りました。
今年は手つくりの門松を・・・。
門松はお正月に降りてこられる神様への道しるべ
「松は千歳を契り、竹は万代を契る」
神様の宿る場所が永遠に続く事を願っての組み合わせだそうです。
混沌とした時代
いつも、いつの時代も、皆が幸せでありますように
明日へつながる会社でありますように
会長が願うのはいつも自分の事ではありません。
2010年12月13日月曜日
命
世界的に有名な某会社の名誉会長が亡くなられました。
お葬式は点火式からはじまりました。
過去にない多くの参列者の方々
式はとても感動的だった、と参列した主人の言葉です。
会社が倒産の危機にあったその時
自分に三億円の保険をかけ
落ちてくれるのを願って飛行機に乗られた実話。
ちくわを魚に、ねぎらいの酒
次はきっとすきやきにの約束は
大きな成果につながりました。
世界でも有数のトップ企業に成長した会社
でも創業者は、どんなに大きな企業もスタートはゼロからです
命をかけ、心をかけ 人をまもり
抱きかかえるように
会社に、命をはぐくんでこられたのだと知りました。
2010年12月6日月曜日
足跡
行く度に今度はどんなに変わっているだろう。
長い道のりを自動車でゆられながら
期待は膨らんでいきます。
大きな進歩はないかもしれない
急に技術が身につくものでもありません。
でも、努力のあと
精一杯の思いは
どこかに形となって現れてきます。
歴史の中で培われた技術は、真似ることから始まるのです。
何度も何度も繰り返し伝えることが大切です。
皆、知っていますか
努力の足跡は
工場の空気を変える事を。
2010年11月29日月曜日
端切れ
気になっていたのは、工場の隅の生地の端切れ
確かに分類され、棚に積んでありました。
でも、一向に動いている気配がありません。
なぜだろう、
なぜだろう
工場に行く度に気にかかります。
一枚一枚開いてみました。
なぜここは、鋏の跡があるのだろう、
なぜ、切らないといけなかったのだろう。
見えてきたのは小さな傷跡
工場は、小さな小さな積み重ね。
「たとえ、十円落ちていてもひらうでしょう」
まだ、家内工業時代の
会長の奥さんの言葉がきこえます。
2010年11月22日月曜日
もみじ
庭のもみじが真っ赤です。
小雨の降る中、庭一面に散ったもみじは
赤い絨毯になりました。
もう、これで終わりだろう思ったその時
「有木家はつぶせない」
メイン銀行の支店長さんの言葉でした。
周り中が反対する中、
売り上げ以上の負債を抱えた会社を応援してくださった
今は亡き、某会社の社長さん
もう駄目だと思ったその時に
何故、たすかる事が出来たのでしょう。
「お願い、お願いのお四国から、
今日あるお陰に、ご先祖様に感謝のお四国に
今度はゆっくり廻ってくるよ。」
会長の頭の中は、もう違う景色が待っています。
2010年11月15日月曜日
神棚
何でも上手に大工仕事をこなして下さるMさんにお願いして
工場の中央に神棚を作ってもらいました。
お納めするのは、会長がもらって帰ってくださった出雲大社の御札です。
榊をたて、お水をお供えしました。
副社長に合わせて皆で拍手を打ちました。
二礼四拍手、一瞬空気がかわります。
お腹にぐっとこみ上げてくるのは何でしょう。
40年前、小さな二階建ての工場は
会長の夢の一歩です。
多くの人に、ご縁いただいた工場は
今日も夢を追いかけているのです。
2010年11月8日月曜日
霧
早朝の山路は、霧で覆われていました。
長い歴史をかけて出来上がったもの
長い歴史の中で培われたもの
ひたすら守り続けた教えは
間口を小さくしてしまいました。
必死で結ばれた紐
一つ一つ解きはなしていくのは、
思いを共有する心です。
「室長さん、見てあげてください。
上手に縫われるようになりましたよ」
深い霧で覆われた
神話の里
ゆっくりゆっくり、霧は
晴れていくのです。
2010年11月1日月曜日
神様
降り続いた雨が上がりました。
あたり一面刈り取られた稲の根っこに新芽が吹き出していました。
緩やかに傾斜した緑の橋げたの上を、追いかけっこした車たちが
足早に通り過ぎていきます。
どっしりと中国山脈の山々は、裾に白い衣をまといます。
突然会長がこられたのは、出雲工場に来て三日目の朝でした。
培われてきた40年の歴史
出雲大社はリミットカタログの最初の表紙を飾りました。
倒産寸前の時も、工場を閉鎖の危機も
出雲の大神様に守られての現在がある事
そして今、じり貧のみちしかなかった工場に
新しい若い力が加わり、また新しい道が見えてきた事
切々と訴えられた会長の途切れ途切れの言葉に
感激で涙を流してくれた新入社員の女の子
倒産寸前の時も、工場閉鎖の危機でさえ
信じてついてきて下さった古参の社員さん
ただただ、ひたすら、納期を守る事を絶対条件とし
ただただ、お客様だけを見つめてきた心に、
そっと、手を合わすのです。
2010年10月25日月曜日
すすき
雪解けの水が路面を凍らせていました。
橋の上になると会長は車から降り、路面を確認します。
アスファルトの道より、橋の上は凍りやすいのです。
これからの季節、
雪に閉ざされた神様の大地、目を瞑っても運転できるよ。
副社長は自慢します。
長年通い続けた山陰道、長い歴史の道のりです。
今日はその道を一人、
迫りくる山々をみつめながら走ります。
みつめる大地に平付すススキは
風に委ねてなびきます。
神様が集まる出雲の大地、
優しいかぜになれますように・・。
2010年10月18日月曜日
米寿
父が初めて話してくれた暗い、苦しい戦時中の体験談
皆が避難している防空壕から飛び出し、他の人を助けに行った
わずかな時間に焼け落ちてしまった防空壕
そんな体験を二度もした事を初めて語ってくれたのは
私が結婚してからずーと後の事でした。
救われた命がこの10月、88歳の誕生日を向えました。
多くの皆様にご縁をいただいて
今日まで生かさせていただきました。
感謝の思いで書き上げた
福徳の88枚の絵
妹たちには、大きな袋を持った優しい笑顔の大黒様
そして私は、白髪の二人が微笑んでいる
高砂の爺婆の絵をもらいました。
2010年10月12日火曜日
マラソン
体を横にくねらせ必死で上ってくる長い坂
車椅子マラソンの折り返し地点は、
延々と続く上り坂の頂上です。
斜めに傾いた車輪を抱えた両腕
前のめりの体は
小さな視野を追いかけます。
折り返しのポール
地面を見つめていた頭が
空を仰ぎました。
いつものように晴れやかな笑顔
信じた道を必死で追いかける
娘のさわやかな笑顔です。
2010年10月4日月曜日
窓
猛暑、締め切ってクーラーづけだった工場の窓を開けました。
知らない間に、はびこっていた弱い心
蔓延していた、「おらが、おらが」の自己中は
秋風とともに、雲に洗われてとんでいきます。
誰かのせいではありません。
何かのせいでもありません。
ただ、居心地のよい空間を皆で作っていたのです。
掃き清められた玄関で
「いらっしゃいませ」大きな声で言ってみました。
水打ちされた通路は
新しい風の通り道です。
怖いのは、どよんだ空気
風穴を開けるのは自分です。
2010年9月27日月曜日
80歳
何か目標を立てたら言葉に出して言いなさい
いつまでにその目標を達成するのか、宣言するのです。
出した言葉は自分への約束です。
そこから、今すべきことが見えてくるのです。
そして、目標は一つに絞るのです。
あれもこれも手を出してはいけません。
一つ達成したら、次の目標に向かっていく
一つ一つが全力投球だった過去を振り返った言葉です。
80歳、これは私の人生の節目です。
次に何に向かっていくのか
80歳の体と相談しながら決めたいと思います。
かすれた声のおくに
新しいエネルギーを感じるのです。
ひらめく頭脳は歳をとりません。
重ねる歳とともに、
ますますさえわたる会長の言葉です。
2010年9月21日火曜日
温暖化
東京大学名誉教授、山本良一先生の講演を聞きました。
やっと秋らしくなりかけた日本の気候
でも、どこまで夏が続くのかと思えるような猛暑は
つい先日まで続いていました。
豪雨で、家や土地が押し流されて行きました。
アジア地域で起きている集中豪雨による河川氾濫、
アメリカでおきた巨大ハリケーン、
イギリスでも、アフリカでも、各国でのかつて経験したことのない異常気候が
多くの現象が起きているのです。
世界で起きている異常気候
温暖化は急速な勢いで地球環境を破壊しています。
山本先生は強い口調で
「このまま何もしないで行くと 加速度的に地球環境は破壊されます」
「ただいま」
玄関を開けるといつもと変わらない我が家。
いつも遅くまで灯している
二階に上がる階段の電気を消しました。
2010年9月13日月曜日
流し台
まだ半分も埋まっていない工場の角で
全体をみわたしました。
20名のラインはミシンの音もはずみます。
どうしても持っていきたかったミシンの前につける流し台
日本では、もうあまり見かけることはありません。
自分の縫ったものがミシンから落ちないようにする為に
次の工程にスムーズに製品を渡すために
どうしても持っていきたかった流し台です。
ラインは小さなパーツを集めながら
衿がつき、袖がつき、やがて一枚の服に出来上がります。
40年以上前、
初めて座ったミシンには、どのミシンもその台がつけられていました。
時代は、大きく変化をとげました。
でも心をつなげていく流し台
どんなに時代は変わっても変わってはいけない理念です。
降り立った大阪空港は、今日も猛暑
新幹線出発時間まであと3分
「走るで、」
若い社長のあとを必死で追いかける、60歳の私です。
2010年9月5日日曜日
生活
置き薬やさんからいただいた情報誌
今回の特集は イシハラクリニック院長の石原ゆうみ先生、
その中に、こんな言葉が載っていました。
「今の時代、やたら塩分を制限されていますが、塩分というのは体が温まるので
昔はよく摂取したものです。
それで脳卒中や高血圧が多くなったわけですが、もし昔の人が塩分を控えていたら
脳卒中で死ぬ前に、体が冷えて肺炎になって死んでいたのではないかと思うのです。
冬の寒さで体が冷え、うつ病やリウマチになっていたかもしれません。
その地域の人が長年かけて作り上げてきた生活習慣、
ただ一面だけ見て簡短にくずしてはいけないとおもうのです。
そこには何か意味があるはずです。」
これから向かう福州にはどんな歴史があり
どんな生活があったのでしょう。
皆、一人ひとりに生活があり、人生があります。
どうぞ独りよがりになりませんように..。
明日の夢が一緒に見れますように・・・。
2010年8月30日月曜日
ナスの木
7月の末から、まとまった雨が降りません。
気温も36度、一向に下がる気配もありません。
秋蒔きの野菜作りに、畑の手伝いに行きました。
久しぶりの畑は、秋用に枝を落とされたナスの木がしっかりと大地に根を張っていました。
ナスの木の下に、かがんで草をとりました。
滴る汗に持っていったペットボトルは、すぐに底をつきました。
でも、枝をとられたナスの木がわずかに作った日陰は、なぜだかさわやかです。
時折吹くそよ風は、真夏日には感じなかった心地よさです。
よく見ると、 尻尾の赤いトンボが赤い目をして泳いでいます。
神様ごめんなさい、
気がつかなくてごめんなさい。
今年も同じように、秋はそこまで来ているのに.....。
2010年8月23日月曜日
夏休み
8月も終わりに近づきました。
子供たちのにぎやかな声が、ご近所から聞こえてきます。
夏休みも、あと一週間で終わりです。
そんな中、子供たちの夏休みの挑戦の様子が、テレビ放映されていました。
北海道の、サバイバルサイクリング
挑戦したのは10歳の男の子
過酷なコースを目的地までの4日間
自分との戦いが始まります。
涙を流しながら「もうだめだ、やめたい」涙と汗で顔はくしゃくしゃです。
「やめる?、やめるのも続けるのも君の自由だよ。」やさしく言葉をかけるコーチ
あくる朝奮起した少年は、やがて見事目的地までたどり着きました。
「歩いても、走っても目的地に向かってさえいれば 必ずいつかたどり着ける」
インタビューに答えた少年のさわやかな笑顔。
あと少し、あともう少し、頑張ってみよう。
滴り落ちる汗が、乾いた大地に
笑顔の雨を降らすまで・・。
2010年8月17日火曜日
おぼん
お盆前、お参りに来てくださったお寺の和尚様との世間話
お正月や春のゴールデンウイークは国民の休日。
国で決められたその日はお休みです。
でも、「おぼん」は国民の休日ではありません。
「でも、当たり前のようにほとんどの会社がお休みします。
ふしぎですねー。 」
今年も帰省する人たちで、交通機関は何処も混雑のニュースが流れます。
我が家も娘がだんな様と帰省し、皆で主人と私の実家を訪ねました。
久しぶりに訪れたそれぞれの実家は、嫁いだ娘や孫達が新しい家族を連れて集まります。
そして今年は、何を云っているのか分からない言葉をいっぱい並べて、
部屋中を駆け回る我が家の孫も加わって特別にぎやかです。
90才に近い父親は、ひ孫に手を引かれますます目じりが下がります。
ご先祖様に両手をあわせると、ぽっと手のひらが温かくなります。
ただただ、生かされていることへの感謝、
ただただ、つつがなく暮らせることへの感謝がこみ上げて来るのです
2010年8月9日月曜日
真夏日
気温36度、湿度80
久々の福州は炎天の真夏日
「でも、クーラーはどこの工場もつけないです」
総経理の言葉通り、窓につけた送風機で 工場内はさわやかです。
ミシンの音が響く工場は、二品番が流れていました。
でも、指導したライン流しとは様子が違います。
同じ工程を二人の人が縫っています。
棚を見てみました。
前回あった仕掛かり途中の製品はありません
検査にも、プレスにも たまった製品がありません。
確かに流れはよくなっています。
午後、責任者の人たちとの話し合い
「室長さん、工場を見られて問題点があったら教えてください」
「なぜ、同じ工程を二人で縫うのですか」
洋服の一番のポイントは衿つくり、
洋服の中心に、形よくおさまらなくてはいけません。
表と裏になる二枚の生地を縫い合わせて出来上がった衿、
裏衿をつける人と、表衿を整える人、二人の人で衿つくりは出来上がります。
でも、二人で分けて縫うと 前の人の縫いが悪いから綺麗に縫えない、といって問題になるのです。
だから、二人で同じ工程を縫えば結果は同じでしょう、責任者のGさんはまじめ顔。
皆が私の答えを待っています。
「確かにそうですね。でも、動作研究をしてみてください。きっと同じではないですよ。
そしてもし、前の人が綺麗に縫っていなくて問題になるのならその問題点を解決しなく
てはいけません。
なぜなら、次工程はお客様なのです。」
通訳をしていた総経理の表情が変わりました。
「室長さん、わかりました。」
何も知らずに飛び込んだ縫製業界、苦しみの中で得たものは
彼の一生の宝になるでしょう。
2010年8月2日月曜日
ミシン音
小さな工場は一日にかかる品番数は時によっては5品番以上
さらにロット枚数は10枚以下、
1品番、1枚のサンプル縫いもこなす生産工場
何とか出来上がり枚数を増やさなくては
ストップオッチ片手に
皆を追い込んだのは一ヶ月前
確かにみんなの動きに変化が出始めました。
でも、心まではつかめません。
毎日、納期に追いかけられながらの生産は
残業、土曜日出勤
それでも生産は追いつきません。
今週はついに工場に入って、見えない針とにらめっこです。
「室長、糸が違っていますよ」
そばで縫っていた若手社員に声をかけられます。
「そのパーツは裏において重ねた方が次の工程が楽ですよ」
今度はもう一人の若手社員
「有難う」
返す笑顔に、ミシンの音も上がります。
アイロンから出てくる 蒸気の音
後から追いかけてくる バキュームの音
ガッシャと跳ねる、穴かがりの機械音
工場は、いろいろな音が気持ちよく響きます。
オーケストラのような工場は
タイムを数秒縮める努力より
一緒に学ぶ大切さを、教えてくれるのです。
2010年7月26日月曜日
くじけないで
今、ベストセラーになっている詩人柴田とよさんの取材をテレビで見ました。
優しいまなざし、きりっとした口元
ぴんと伸ばした後姿からは、とうてい99歳には見えません。
苦しいとき悲しいとき元気をもらったという読者の方が
どんどん増えているそうです。
「くじけないで」
ねえ、不幸だなんて
溜息をつかないで
陽射しやそよ風は
えこひいきしない
夢は平等にみられるのよ
私辛いことがあったけど
生きていてよかった
あなたもくじけないで
90年、生き抜いてこられた強さは
背中を、ぐんと前に押してくれるのです。
2010年7月20日火曜日
哺乳類
NHKで、哺乳類が人間にいたるまでどのようにして進化を遂げてきたのか
を放送されていました。
直径10キロの隕石衝突、それまで1億5000万年も君臨していた恐竜が一掃されました。
番組ではその後を生き延びた生物の戦いの物語が紹介されていました。
大陸移動の偶然に左右されていく地上の生き物達、
さまざまな地殻変化の中で爬虫類や鳥類たちは、地上に君臨すべく
さまざまに変化していきます。
立ちはだかる巨鳥や巨大ワニとの戦いののち
小型のままであった哺乳類はいつも負け組みでした。
小動物だった哺乳類が、なぜ進化を遂げてきたのか。
それは弱者だったがゆえに、厳しい環境におかれていたがゆえに
なしえた事だと番組は語っていました。
巨大な敵と戦うために、たえず工夫が必要だった。
そこに脳の発達の糸口があったと・・。
何万年もの歴史を経て、受け継がれてきたDNA
私たち人類は、工夫し努力していくのが命の源なのだと知りました。
2010年7月12日月曜日
相撲
昨日、野球賭博問題で大きく揺れた大相撲名古屋場所が初日を迎えました。
テレビ放映のない自粛した相撲業界
流れていく歴史の中で どよんだ空気に小さな風穴があきました。
確かに変えていくのは大変です。
変わっていくのは、もっともっと大変です。
でも、すべてを周りのせいにしていたら何も変わらない。
長い歴史を持つ国技
私たちから見ればとてつもない大きな組織です。
でも、どんな大きな力も、一つ一つを紐解いていったら
最後は個に行き着くように思うのです。
今、目の前にある事実
一つ一つを紐解いて、一つの線で結んだら見えてきたものがあります。
それは、自分が結んだこぶでした。
自分が歪めたねじれでした。
真っ直ぐなものを、ゆがんでみていた心です。
「33連勝より、いい相撲取りきった」
初日、圧勝した横綱白鳳の言葉です。
2010年7月5日月曜日
工場
8枚の束
二つに折った後ろ身頃は、一枚だけ伸ばしてアイロン台の上に載っています。
定規で寸法を決めた折代を、すべるようにアイロンが動きます。
1mmの違いもなく折られた裾はまた二つに折られた元の位置に返します。
流れるように手の中で動いていくパーツたち
同じことの繰り返しの中で、競うのは昨日の自分です。
ライン縫製は、細かく分散された工程を一人ひとりを専門化することで
追いかけていくラインです。
追いかけられるのは前工程、自然にスピードが上がります。
でもリミットの生産は多品種、極少ロット、ライン縫製が組めません。
流れていくパーツたち、
昨日よりやさしさを
昨日より厳しさを
競っているのは昨日の自分。
追いかけているのは明日です。
磨きぬかれた工場は
やがて、研ぎ澄まされていくのです。
2010年6月28日月曜日
一歩
日経新聞に毎日連載されている私の履歴書
今月はオービック会長の野田順広氏の履歴書です
昨日のお話はそれまで主流だったオフイスコンピュータから
パソコンに大きく舵取りしたいきさつが載っていました。
ハードからソフトに力を入れ始めたばかりのオービック
さらに世界の情報の発信基地だったシリコンバレーを視察
コンピュータの大きな変化を先取りしての舵取りだったと載っていました。
会長は極限の精神の中にこんな言葉を書いています。
「30年前、会社の状況は決算をしないとわからない
税理士に決算を依頼しても問題点の後始末に終われる毎日でした。
そんな時、情報処理の会社からコンピュータを売りこみがありました。
当時のパソコンは故障も多く使える状態ではないので薦められたのはオフコンです。
資金がなかった私は、安いパソコンを導入するしかありませんでした。
残念ながら現在のパソコン全盛時代を予測したのではありません。
パソコンを私の協力者と考え、私の考え方をマニアル化しました。
一つ一つの仕事をマニアル化しそれを自動処理に変えました。」
会長が、朝早くからパソコンの前に座っておられた姿を思い出します。
何百という受注件数を自動処理してくれる受注システム。
納期管理も、財務管理も
すべては一歩から始まりました。
どんなものにも初めの一歩がありました。
若い世代、踏み出そうとする一歩が
あちらこちらに顔を出しています。
業界で一番小さな会社です。
でも、発信される情報はきっと業界を変えていくでしょう。
2010年6月21日月曜日
竜神様
急に強くなった雨足に
同行した社長まで苦笑い
久々の中国は、またまた竜神様のお出迎え
工場は
やっと人が安定し二つのラインが静かに流れていました。
まず、午前中はタイムを取って問題点を班長さんに伝えよう
最終工程、スタートボタンを押したタイムウオッチ
なかなかストップボタンが押せません。
もう一度念のため、
「もうもう、待てません」
工場に入って一時間
「二ラインを、一ラインに変更してください」
工場の中は、三品番が流れています。
なぜなの、何で三品番も
整理されていると思った棚には仕掛の山です。
「ライン流しストップ
全員でこの仕掛を整理します。」
緩やかなラインが
ミシンの音が響き、竜神様の降らした雨におしながされたのは
最終日のお昼前でした。
工場は小さなことの積み重ね、
今日のマイナスを、明日取り返すことは出来ません。
毎日毎日が真剣勝負です。
「なぜ、これはここにあるのか、
なぜ、あれはこのままなのか。」
創業の頃の会長の声が、聞こえたような気がしました。
2010年6月14日月曜日
夏色
朝、いつもの曇天の空は、夏色になっているかしら
緑の山、大きな石、自然豊かな福州に
夏色はどんな景色なのでしょう。
明日から、また景色は福州
雨女の異名をもらった私を待ってくれているのは
乾いた土地
小さな体をくねらせて、笑顔でいっぱいのOさんに
硬い表情のAさん。
姉御肌のBさん
明日からの
また、新たな挑戦の始まりです。
2010年6月7日月曜日
水車
テレビで水車の映像が流れていました。
日本で唯一の水車つくりの名人、野瀬さんのお話でした。
野瀬さんは、カンボジアなど世界中で水車作りを支援する活動を行っている有名な方で、風車の神様といわれた中村さんの弟子に当たる人だそうです。
放映されていたのは、中村さんの作られた直径12メートルもの巨大な水車の修復でした。
水車のパワーを左右する最も重要な部分は、水を受け止める羽根板と受け板の角度。
川の流れにあわせて角度をかえる、それをかたどった板が形板と呼ばれ、修理などのために代々受け継がれます。
中村さんが残された修復用の板の中には、なぜか3本の線が書いてありました。
その年の雨の量や機構によって微妙に違う変化を見つけなさいの、メッセージ
だったのでは・・・。
人も時代の中で、生き抜いています。
思いも、体も心も微妙に変化していきます。
そんな心を
小さな思いを、少しでも感じ取れる人になりたいと思うのです。
2010年5月31日月曜日
ロボット
おお!
ついにやったぞ
5月30日、新聞を広げた主人の感激の声
日経新聞に載っていたのは「コンピューター脳に近づく」の見出しで紹介されていた
「賢いロボット登場」
「分子コンピューターと呼ばれる技術の一種で、普通のコンピューターとは全く異なる。普通のコンピューターは半導体チップやハードディスクで出来ているが、新技術は微細な有機分子の薄膜一枚にすぎない」。
「膜って何、それって細胞のこと」?
「わからん、とにかくすごい今に知能を持ったロボットが出来る時代が来るぞ。
昔の漫画に書いてあった通りだ。」
ロボットが大好きな主人の話は、ますますエスカレートしていきます。
よく読んでみるとこんな事が書いてありました。
「この分子には電子を与えることができ、与え方がプログラムやデータ入力にあたる。そしてこの分子は隣同士の結合で、自由に変化する。この変化が一種の情報処理になる。これは、状況に応じて回路の構成を自分で変えていくコンピューター技術で進化回路と呼ばれる・・・ そこには初期的な知能すら見え始めている。」
最後に、こんな言葉で結んでありました。
「進化回路は、脳にも似ている。分子が脳神経細胞、回路が脳神経細胞ネットワーク、そして分子層全体が脳。コンピューターは知能を持つ人間の脳に近づいてきた。
将来いちいち教えなくても、自分で賢くなるロボットが実現するかもしれない。」
こんな言葉も、
データ処理と知能の違いは、人間はさまざまな図形から似たもの同士をあつめたり分類することが出来ます。
でも、普通のコンピューターは少しでも違うと異なると認識し似たものを捕らえるのが苦手です。
この分子層は似た入力が皆同じになる、などグループわけが出来る。
そして、
「分類する能力は知能の第一歩、それが出来ないと物質をうまく識別することが出来ず、高度な知能にたどり着くことは出来ないのかもしれない」
今日は日曜日、目の前には日々整理できなくて溜まってしまった たたみかけの洗濯物、傍らに押しやられた新聞や雑誌の束。
「分類する能力は知能の第一歩、それが出来ないと物質をうまく識別することが出来ず高度な知能にたどり着くことは出来ないのかもしれない」
確かに、確かに、
変に納得してしまった私です。
2010年5月24日月曜日
永田農法
新しい農業の方法に永田農法というのがあるそうです。
やせた土地に作物を植えるその方法はとても画期的です
私たちは、今日も畑を耕しました。
土を耕し栄養を与え、野菜が育つのに必要な土地に改良していきます。
そして恵まれた環境で野菜はすくすく育ってほしいと願います。
でも、永田農法は初めから栄養を与えません。
必要なとき必要な所へ必要な量だけ与える農法は、ハングリーな野菜たちが
おいしい野菜に育つのだそうです。
日曜日の朝、何気なく広げた新聞に写っていたのはモノクロの写真の中の子供たち。
一心に見つめているのは、おばあさんの手の先で作り上げられる飴細工です。
子供たちの食い入るように見つめるそのまなざしに
作者は本当の豊かさとは、と問いかけておられるのでしょうか。
本当に必要なものは何なのでしょう。
ハングリーな野菜は、おいしい野菜に育つのだそうです。
2010年5月17日月曜日
納期
「リミットさんは、他社と違うと思っていたのに
2ヶ月先の納期をお客様にいえますか。」
受注の窓口、お客様センターに届いた言葉です。
連休前から入り始めた夏物の注文が連休明けからさらに拍車がかかり、
サービスセンターは納期の返事に追われています。
昨年秋、売り上げの落ち込みはかつて経験したことのない状況でした。
その中で実行された中国青島工場の操業停止。
当時の判断を社長はこんな言葉で綴ります。
「この不況は今まで経験してきたものとは全く異なると感じました。地面に亀裂が走り、一気に地盤が崩落したかのような、もはや恐怖感でした。
この状況でも存続できる会社にするためにはどうしたらよいかをまず考えました。
結果、中国青島工場の操業停止、そして新しい工場をスタートさせる事を決意したのです。
そして
約束しています。
「来年春には新しい中国の福州工場が動き始めます。国内工場も、クイック生産することで、在庫を減少させます。このようにして、品切れ商品も、仕掛がない状態から二週間の即納体制を維持いたします。」
福州工場を軌道に乗せることが自分に課された使命と考え取り組んできました。
でもそれは、本当にお客様を見ての取り組みだったかと今思うのです。
確かに、品質のよい工場が出来上がりました。
まだまだ、採算的には無理があります。でも、生産ラインがやっと出来上がりました。自分でも、短期間でよく頑張ってくれた、よく出来たと思っていました。
でもこの繁忙期に製品を間に合わすことが出来ませんでした。
本当にお客様のことを考えていたなら、社長の言葉の意味をもっと強く受け止めていたならもっと短期間で軌道に乗せることを使命としたはずです。
国内工場も、福州工場も残業しながらのフル稼働。
人も企業も、苦しいときほど真価が問われるのだと改めて思うのです。
2010年5月10日月曜日
若い力
福州から帰国して一週間、悶々とした日々が続きます。
きれいな商品が縫えました。
自動裁断機で裁断されたそれぞれのパーツは、分類され棚に並んでいます。
色違いを防ぐ為の順番がふられ、必要なパーツに生地を安定させる芯地が貼られ、 順序良く製品がミシンの間を流れてゆきます。
でも、希望とする枚数が縫いあがりません。
多品種小ロットのリミットの製品。
あっという間にひとつの商品は縫い終わってしまいます。
縫製の経験が全く無かった総経理
でも、一つ一つの失敗が新しい引き出しを作ってくれました。
いよいよ最後の砦です。
福州の問題は実は日本が抱える問題でもありました。
リミットの生産は、販売という母体に支えられてきました。
福州に指導に行ったと思っていた私達、でもそれはぬるま湯につかり続けている
自分達への警告でした。
「人は感じただけ成長できる。」
NHKの大河ドラマで勝海舟が言っていた言葉です。
40年間、みつめ続けたリミットです。
若い力とともに、この大きな砦を越えて行きたいと思うのです。
2010年4月26日月曜日
溝
日曜日、久しぶりに穏やかな春らしい気候になりました。
真新しい靴を履いた孫の手を引いて、お散歩に出かけました。
「まあまあ、お散歩ですか」
ご近所の皆さんが順番に声をかけてくださいました。
そんな事にはお構いなしの初孫君、トコトコと思う場所に動きます。
背丈の半分ほどの溝をあえて選んで入ります。
とても、たわない溝から足を上げて上がろうとします。
前に石があろうと、深い溝があろうと見えているのは直線状です。
うっかりすると溝にはまりかねません。
でもこうして人は、いろいろな経験を積み重ね、経験しながら学んで行くのだと
改めて思うのです。
やっと産声を上げた福州工場
伝えることと学ぶことが一度にやってきました。
伝えても伝えても理解してもらえなかった事が
失敗という経験を通して自分のものになっていきます。
でも、今つまずいているこの石は、実は大きな岩の先端でしかないのです。
先端しか見えていないこの岩は、私たちが初めて挑戦する岩なのです。
リミットは、小さな数量の積み重ねで売り上げを伸ばしてきた会社です。
さらに、小口化はどんどん進んでいます。
ライン編成の方法は、過去の経験は通用しないかもしれません。
全社一体となって取り組まなくては越えられない大きな岩は、まだ見えていないのです。
2010年4月19日月曜日
福州 情報
「もしもし、総経理・・。」
「はい」
「たたみ方が違っています。手直しをしてください」
「・・・。」
初めて福州から入荷になった商品、
縫製はとても綺麗です。
小さなことにも心を配り、厳しい班長さんのチェックを通過した製品たち
でも、製品は最終工程のプレスの工程で
お化粧され、花嫁衣裳を着るのです。
どんなに綺麗な素材でも最後のお化粧で見た目の雰囲気を壊してしまうのです。
みんなの思いの最後の表現者
最後のプレス工程はそんな重大な役目を持っているのです。
正しいたたみ方を再度メールに託して送ります。
一日、二日、三日が過ぎても何の返事もありません。
「伝え方は、これでよかったのかしら、他に方法はなかったかしら
初めて経験すべての事に、一生懸命立ち向かっている総経理、
そんな思いを無視してしまったのでは・・」
メールを確認するたびに不安は大きくなるのです。
「室長さん、手直しすべて終わりました。 しわも綺麗に直しました」
「よかった、有難う」
五日後の事でした。
「有難う、でもね総経理
たとえ悪いことであっても即、報告する事
会社はよい答えを待っているのではないのです。
今の正しい情報を待っているのです。」
私の頭の中は、もう次の宿題で頭がいっぱいになりました。
2010年4月12日月曜日
130億光年
地球に一番遠い星は130億光年離れているそうです。
130億光年かかって地球に届くその姿は、
130億光年昔の姿を私たちは見ていることになるのだそうです。
現在の今の姿ではないのです。
気の遠くなるような数字、でもそうした星の観測をすることによって
私たちは地球の誕生歴史を知ることが出来るのだそうです。
そう考えると、私たちが目で捉えるあらゆるものに距離があります。
それは測ることも出来ないほど瞬間かもしれません。
でも一瞬であれ今の姿では無いと思うと信じるものが違って見えてきます。
目に見えるものだけを追いかけていてはいけないのではないかしら
そんな気がしてくるのです。
すべてのものは距離を置きながら刻々変化を遂げているのです。
変化を感じるのは見えるからです。
でも見えないところにあるものは何なのでしょう。
探し続ける中に、企業も明日の行く道が見えてくるように思うのです。
2010年4月5日月曜日
役目
なかなか開かなかった桜の花が、昨日の回復したお天気のせいで一気に花を広げています。
テレビのニュースは桜前線の映像をを追いかけていました。
映し出された新宿御苑の桜はピンクがひときわ鮮やかです。
アナウンサーさんは伝えます。
一昨日の強い風、発着の飛行機が欠航、新幹線もストップ
街は強風で道行く人の周りで物が飛んでいました。
「でも見てください。
それなのに桜はひとつも散っていないのです。
しっかりと茎に花をつけているのです。
それはまだ、桜の役目を終えていないからなのです。」
今日は日曜日、行事続きの合間をぬって桜を見に出かけました。
雑木林の中をやさしいピンクの並木道がどこまでも続いていました。
昔この山城は、毛利に味方し、のろしで尼子の攻めを伝えたという
広大な神辺平野を眼下に、歴史の足音が聞こえてきそうです。
「桜の花の役目は受粉です。
やがて命をつなげた花たちは一斉に川面をピンク色に染めるのです」
アナウンサーさんの興奮した一言を思い出しました。
次の世代に伝えていくもの、次の世代に残していくもの
この世に命をいただいた私たち、次の世代に何を伝えようとしているのでしょう。
2010年3月29日月曜日
福州4
中国では、糸のロットが140本です。
えっ、140本、百四十、
そんな報告聞いていないよ
前回は、1本でも買えたのに、
えっ、送ったはずのパターンが見つからない
探して、探して、
確かに送ったよね。
いや、持ち込んだはず。
訪中二回目のライン長からの報告です。
「すみません、やらなければいけない事がいっぱいで、管理が出来ていませんでした。」
総経理からのメールです。
「大丈夫、大丈夫、問題はおきてもいいのです。おきて当たり前なのです。
でも、問題は、次に何をするか、どう動いていくのかが問題なのです。」
「問題の引き出しをいっぱい作ってください。
たくさんの引き出しはきっと、福州一のモデル工場にしてくれるはず。」
さあ、今日はそんな福州から帰国した三人の報告会
三人は、どんな問題を抱えて帰ってくれるのでしょう
今からわくわくするのです。
2010年3月23日火曜日
貴方
刻んだ歴史の中でいつも、リミットが伝えてきたこと
それは働く女性の方たちの笑顔への応援歌でした。
言葉は最小限に、その思いは感性に訴えてきたつもりでした。
「買ってください、売ってください」
その言葉は決して使いません。
使いたくありませんでした。
それは言わなくても、語らなくても写真が、キャッチが商品が語ってくれると
思っていました。
だから、機能よりも素材よりも、
仕事服だからとなおざりにしない
押し付けで着させられる服よりも着たいと思ってきていただける
見た目の優しさ、デザインを一番に伝えたいと思いました
でも、それは豊かな時代が生んだ産物だったのでしょうか。
厳しい時代、心だけでは訴える力が弱くなったのでしょうか。
いいえ、そうではないのです。
もっと深くもっと強く笑顔を追いかけたその時に、
見えてきたのは「貴方」です。
真に「貴方のために創りました」といえるのは
培った歴史の上に、なお若い力が積み上げたその心が、本物だからだと改めて思うのです。
2010年3月15日月曜日
福州3
一人ひとりの能力を確認するために、基本の縫い方を練習してもらいました。
二枚の生地を重ねて縫うのも、丸い円を描いて縫うのも、高度なテクニックを要求される丸い生地に平らな生地を縫い付けるのも、とても上手です。
リミットの商品は、身頃に袖をつけたり、後ろ身と前身をあわすのに特殊ミシンを使います。
特殊ミシンは、断ち目にロックをかけながら同時に縫い合わせてくれる特殊なミシンです。
特に袖付けは、腕の丸みを出すために袖は大きくカーブを描きます。
身頃の形状と、袖の形状は違った形をしているのです。
カーブは触っただけで伸びようとします。
直線は、逆に縮もう縮もうとするのです。
上下に重ねた生地、上になる生地と、下になる生地を持つ手は違った動きが必要です
経験の無い人には難しい技術です。
いざ、ラインを組んでの人選は、工場の責任者の二人と意見が合いません。
二人が推薦する女性は、とても優しい手つきでどこでも丁寧に上手に縫えました。
でも、特殊ミシンの経験はなさそうです。
人選の理由は、入社試験で造ってもらったワンピースがとてもきれいに縫えていた事、
しかも袖付けがきれいに縫えていたからと言うのです。
こんなに綺麗に縫えています、と見せてくれたワンピース
肝心の特殊ミシンが使ってありません。
声を失ってしまった日本から一緒に行った縫製指導のライン長と私、
同じものを見ても、感じる視点が違っているのです。
2010年3月8日月曜日
福州2
出迎えたのはお正月気分がぬけきらない数発の花火とイナズマ達
前が見えないほどの横殴りの雨
昼間は晴れていたという報告になんだか不安がひろがります。
お天気がよければ半袖で十分な気候のはずなのに
あくる朝も雨
広い工場の中、窓は全開
半袖を予想しての身支度は寒さで震えそうです。
よくよく見ると石の床は土ぼこりがたまっています
新しく設置したCADの上にもうっすら土ぼこり
「汚れた工場では品質のよいものは出来ません」
一番にしたのは広い工場の床磨き
水で洗ったモップは水が滴り落ちています。
一回ではだめ、もう一回
床を手でこすって、手の先を見てもらいます。
笑顔で指を立てて「もう一回」と答えてくれるジェスチャーに
工場の中は少しづつ活気付いていきました。
毎朝床磨き、仕事が終わったら掃除とミシンの手入れ
それは、ただ製品を汚さないためだけではないのです。
心も一緒に磨くのですよ
そんな言葉の通訳は無い、福州の工場のスタートです。
2010年3月1日月曜日
発想
30年前
雪の後のぬかるんだ泥道を5時間かけてたどり着いたのは
神々が集まる山ぶかい出雲の地
リミットがはじめて造る工場は大豆のにおいが焼きついた
醤油工場の建物を改造して造られていました。
それまで自転車の鉄を握っていた手を
やわらかい布におきかえての工場の創業者。
初めてミシンを扱う人たちにズボンの縫い方を指導します。
一番難しい男性のズボンの後ろについてるピスポケットは
細いループが上下に形よく並ばなくてはいけません。
満足がいかないまま後ろ髪を惹かれる思いで、帰途に着きました。
驚いたのはその一週間後、
二枚に分離されていたはずの生地は、同じ大きさの一枚に集約されていました。
ピスの幅に合わせて二本、平行に縫うはずだった縫い線は
一枚の生地の真ん中に長方形に縫われています。
社長のコメントは
「結果この形になればいいんだろ」
確かに見た目は同じでした。
それからしばらくして売り出された自動で縫えるように開発されたピス縫いミシンは
まさにこの発想だったのです。
曲げることも容易ではなかった鉄、曲げることはかんたんにできてしまう布
簡単にできないから、発想を変えて考えてみる。
さあ、明日から福州の縫製指導が始まります。
私も、曲がらない鉄を曲げて帰りたいと思うのです。
2010年2月22日月曜日
還暦
あこがれていた赤いバラの花束
白いケーキ
六本の太いろうそく
たくさんのプレゼント
主人、子供たちの笑顔
そして、孫のやすらかな寝顔。
多くの幸せに囲まれてろうそくの火を消しました。
初めて聞いた ハッピィバースデイの歌。
なんだかおしりが落ち着きません。
いただいたプレゼントを開けながら
みんな知っていてくれたんだな
みんなわかっていてくれたんだな
今日を迎える私のために
整えてくれたお祝いの一つ一つに
振り返った景色はピンク色に染まりました。
歩んできた60年、
黒かった景色も
灰色だった景色も
ピンク一色になりました。
そして、今日から生まれ変わった私です。
今日から、振り返らない昨日です。
2010年2月15日月曜日
出荷式
カタログの出荷式を行いました。
スタートは15年前、
通信販売のリミットは営業という部署がありません。
リミットの思い、考えをカタログに盛り込みました。
そんなカタログは営業マンの代わりです。
お客様の顔が見えないから
お客様とお話しすることができないから、
どうか、リミットの服を着て働いてくださる皆様が幸せでありますように
心豊かでありますように
そんな思いを込めての出荷式は時代の証言者です。
働く場所はいくらでもあった時代から
働く場所も
働く会社も
ままならない時代になりました。
着ていただけるお客様があることに
着て下さるお客様がいらっしゃることに
感謝の思いを忘れてはいけないと思うのです。
2010年2月8日月曜日
福州
福州の空港に着きました。
辺りはもうすっかり暮れています。
照明に照らされた高速道路をぬけても広い道路はどこまでも続きます。
暗がりに次々と飛び込んでくる広告はテレビニュースでみる中国の映像と同じです。
福州の街には、車があふれ駐車場は込み合い、人がごった返し街中活気にあふれています。
工場のノウハウなど何も無い若い社長と、福州の総経理、土地を探し建物を修復しました。
わからないことばかり、すべてが初めての経験です。
何もかもが、つまづきの連続です。
でも、一つ一つ乗り越えるたびにそれは経験を越えたノウハウになっていきました。
そして、明日からよいよ機械の設置です。
ミシンの組み立て
日本からやってきたベテランのミシン修理の社員も組み立ては初めてです。
いろいろな場面問題点を想像し、道具もそろえてもってきました。
同行した若い社員は未知への挑戦です。
一週間後、彼はどんな経験をし、どんな壁にぶつかり、どんなノウハウを身に着けるのでしょう。
福州の夜は、一気に黒い塊になりました。
何も無いからこそ蓄えられる大きな袋は、大きな口をあけて待っているのです。
2010年2月1日月曜日
響き
NHKのドキメンタリー番組を見ました。
今急増している無縁死
過去普通の生活をし
普通に暮らしていた人がなくなりました。
でも、発見されたのは一ヵ月後
一人暮らしのお年寄りの孤独死が、社会問題になりました。
でも、無縁死は誰にも見取られず亡くなって、その人の遺骨を受け取る人がいません。
子供が無く、兄弟も高齢、自然に世間との縁も薄れていきます。
番組で紹介された56歳の男性 、
留守電にはお姉さんの、「元気にしている」 の言葉が残っていました。
人が二人になると、そこには一人では考えなくてもよかった事が頭をもたげてきます。
でもそんな心の葛藤を乗り越えて、人は家族となって行きます。
あんな事言わない方がよかったのでは、
いやな思いをさせたのでは
逆に腹を立てる事もあるかもしれません。
家族が多くなれば心配事も悩みも
多くなる分増えていきます。
でも、そんな中から自然に生まれてくるのが絆です。
私たちは一人でも不自由の無い生活の中に、忘れてきたものがあったのでしょうか。
今日は日曜日
表から、子供達が遊ぶ声が聞こえてきます。
二階では、孫の泣き声が近所中に響きます。
いつまでも失いたくない響きです。
2010年1月25日月曜日
幸
大きな橋を見上げながら、ないているのは社長さん
会社が倒産したのです。
苦しい胸の内を紙に書いて渡しました。
「辛」
お返しの言葉は
一を足して
「幸」
再建を約束された社長さん。
テレビで放映されていたのは実在の人物のドラマ化。
銀座で一番売れっ子のホステスさんは、耳が聞こえません。
会話は紙に書いての筆談です。
そうだった、苦しいのは、悲しいのは、
辛いのは
何かが足らなかったから 。
何かを忘れていたから。
今日を、今を、一生懸命生きてみよう 。
やがて、笑顔で去っていくホステスさん
私へのメッセージものこして・・・。
2010年1月18日月曜日
働く
洗濯物を干す指先の感覚が、遠くなっていきます。
今朝は一段と寒さが厳しい朝でした。
背中に子供をおんぶしたお母さんたちが、真冬の夜、川原で洗濯物をされていたのは
そんなに遠い昔の事ではありません。
「こんなに忙しいのに働く人がいないんです。」
そこは、クリーニング工場、仕事はいっぱいあるが働く人がいないから仕事を請けられない。
年末、派遣村のニュースを聞いて求人に出かけた社長さん。
7人の雇用を受け入れたのに、あくる日にはもう辞められました。
理由は「冷たい水仕事がいやだから」
そこで働いているのはベトナムからやってきた若者達。
「日本で一生懸命働いてお金をためます。
仕事、とても楽しいです。」
働く先が無いのでは、
働き口が無いのでは、
働く場所があることに感謝して働きたいと思うのです。
2010年1月12日火曜日
ありがとう
おめでとう、おめでとう
たくさんの友人に囲まれてひときわ輝いているのは
長女の笑顔です。
幼い頃、辛い入院生活を共に分かち合ったお友達
ひとり、ひとり障害をのりこえて
助け合った仲間達
多くの人に支えられ、多くの人に導かれ
多くの人につながり、多くの人の絆の中から
今日の感動が生まれました。
そして、いつも長女をひざに抱き
「神様、仏様のお使いだよ」
と教えてくださった恩人は
祝いのメッセージに
「この子は、きっと廻りの人たちに幸せを運んできます」
恩人のお顔が
何重にも重なって見えなくなりました。
雪の舞う中、今日もお四国、八十八ヶ所をめぐられているのでしょうか。
2010年1月5日火曜日
新年
明けましておめでとうございます。
「昨年に比べて穏やかな日差しの中、出雲大社へお参りしてきました。
今年は、こんな穏やかな一年であってほしいと思います。」
一言一言噛みしめるように、社長の新年互例会での挨拶が始まりました。
厳しい時代、この厳しさが自分を成長させてくれました。
リミットは、何を差別化するのか。
それは、ユニフオームを着る事の楽しさを伝えていきたい。
その人の人生、成功を支援するそんなシステムを確立したい。
働き口を失った人達があふれていたこの年末、
働く場所があることへの感謝
働く事のありがたさを伝えて行きたい。
商売の基本、ネットの時代忘れかけていた商売の基本にもどり
リアルの大切さ 感動を伝えて行きたい
笑顔、感謝、奉仕の心、
リミットがつちかってきたこの心を
明日へとつなげて行きたい。
新しい時代は、次の世代が育っていく
足がかりとなっていくのです。
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