2011年12月26日月曜日


 NHKの番組「ようこそ先輩」で東京スカイツリーを手がけられた照明デザイナーの
戸恒浩人さんが、子供たちに照明についてお話をされていました。

子供たちがその日に食べる給食。
部屋を暗くし給食にスポットが当たります。
すると、いつもの給食が浮かび上がって見えました。
それは、高級レストランのランチのようにも見えるのです。

光には必ず影の部分と光の部分がある
戸恒さんのつくる照明は少ない光で、影の力もうまく利用するのが特徴。
心に訴える照明に多くの光は必要ない。

あらゆる事に目を向け、あらゆる事に全力をそそぎ
いつも、張り詰めていた緊張の糸が切れたのは春の頃でした。

動かなくなった右手を
必死に持ち上げながら、
リハビリは続きます。

でも、何もかもではない世界
部分にしか当たらない光
だからわかる影の大切さ

そんなあたらない光の影を
みつめる人生も 
また素晴らしいと思ってもらいたいのです。




2011年12月19日月曜日

お花


前日テレビで放映されていた番組
故郷を離れて他の土地で暮らす、震災にあった子供たち

そんな子供達を勇気付けようと企画されたイベント
銭湯の壁画の書き方を、プロの人に教えてもらおう

子供達は震災前まで暮らしていた野や山
一緒に走り回った小学校の校庭
一人ひとりの思い出をつないで大きな壁画を描きました。

震災前まで、当たり前と思っていた野があり山がありました。
その時は何も感じなかった。

でも、
今あることが当たり前ではないんだね。

声を詰まらせながら、先生はお話をされました。

 月曜日の朝
冷たくなった手をさすりながら、駆け込んだ工場
いつもの建物
いつもの通路

赤、紫、ピンク
休みの日に会社まで来て植えてくださった、かわいいパンジーの花達が
一段と輝いて迎えてくれます。

ただ ただ、あり難いと思うのです。





2011年12月12日月曜日

モーターショー


 中国版NHKのドキメンタリー番組、フエイスを見ました。
もう一つの自動車革命
東京モーターショー、その中で異彩をはなっている車、
それはあえてエンジン技術に力を入れて開発したマツダの新型車だそうです。

エンジンの燃費率を、15%も上げることに成功したピストン
爆発を滑らかにするその技術は、加工する形状にありました。
微妙な形状を持つこのピストン、45もの工程を通ってより精密な精度を要求されます。

試行錯誤の末、目をつけたのはサンプル作成などに使われる マシニングセンターという機械
でも、一工程ずつ歯を付け替えなければならない為、ラインで流すより大幅に時間がかかります。

誰も見向きもしなかったこの機械に目をつけたのが、ライン設計の責任者

「自動車はラインで流さなければならない」
この常識をくつがえしたのです。

10工程以上を、一台でこなすマシニングセンターの改良
自動で針を付け替える交換ソフトの改良が、大幅な時間短縮を生みました。

開発責任者の人は語られます。
「皆、楽しんで仕事をしていました。これが成功したらパラダイスが待っている。」

多品種小ロットのリミットの工場。
でも、機械とは違って技術力の差は当たり前、
だからライン編成が必要です。

でもあえて、
「ライン編成が当たり前」
この枠をとりのぞいたら
どんな工場が見えてくるのでしょう。

今からわくわくするのです。




2011年12月5日月曜日

ポケット


 洗濯をしているお母さん
白いエプロンの裾を引っ張り 泣いているのは妹です。

泣き虫妹の 
涙を拭いた、てぬぐいも
鼻水ふいた、ちり紙も
笑顔にした、飴玉も

何でも出てくるポケットは
エプロンの脇役です。

母さんのポケットは、不思議です。

甘えん坊の妹が
怒リンボの妹が
エンエン、泣き虫の妹が
寂しがり屋の私が

すっぽり入るポケットです。



2011年11月28日月曜日

お地蔵様


 妹の退院を祝って、姉妹でお墓参りに行きました。

嫁ぎ先のご先祖様、そのまた先のご先祖様
ルーツをたどってのお墓参りは
妹を病から救ってくれました。

朝、杖を付き腰をかがめ 体を丸めて歩いていた妹は
いつの間にか背筋が伸びています。

「はじめは、何も見えなかったんよ。」

4人が育った故郷の
田んぼの辺のお地蔵様
お墓参りのたびに立ち寄ったと妹たちの会話。

荒んだ庵を整え
水で清め
体を拭いてもらったお地蔵様は
まとっている袈裟、
手に持った数珠までくっきり見えるようになっていました。

「このお地蔵様、笑っていたんだね」
「ほんとだ」

故郷の空は、どこまでも青く
あおくひろがっていました。



2011年11月21日月曜日

野球


 昨夜は、プロ野球の日本シリーズの決勝戦が放映されていました。
中日と、ソフトバンクの対戦です。

「ここで、あのピッチャーを使うかなー、」

満塁にしてしまった先発ピッチャーを降板させて、交代したのは
二軍に近いところのピッチャーだと主人は説明してくれます。

時々、画面に現れる落合監督は
いつも、腕組みをしてジーとマウンドを見つめています。

私も監督を見つめてみました。

ふと、福州の工場を思い出しました。
忙しく動き回る工場長に指示したことを思い出しました。

全体が見える場所に立ちなさい。
動かないで全体を見つめなさい、問題点がみえてくるから

監督は常に全体像を捕らえようとしておられるのかもしれない
結果はソフトバンクが優勝でした。

「監督は、今日の試合だけの事を考えていないんだよ、
監督は代わっても野球は来年もつづくから・・」

いつもの主人の独り言です。




2011年11月7日月曜日

神在祭


 シーンと静まり返った砂利道を一歩一歩かみ締めて歩きました。

還暦を迎えた妹に誘われて、初めて集った神在祭
砂浜には溢れんばかりの人達です。
神事の様子は見えません。
でも照明が消され、太鼓の音と共に
海辺に押し寄せる波の音が大きくなりました。

ご到着された神々は御使神「龍蛇神」さまをご先導として
出雲大社まで御神幸されるのだそうです。

目には見えない「神事(かみごと)」を司られる「大國主大神」が鎮座される出雲大社で
人々の"しあわせ"の御縁を結ぶ会議「神議(かみはかり)」がなされるのだそうです。

今年は、浜から大社まで歩いての御神幸は中止されましたが、
歩道は、大社に向かう人達で行列がつづいていました。

奉迎の神迎祭
初めて体験した滝行

白衣をまとった二人に
白い玉砂利は、シャリシャリと音を立て
二人の後を追いかけてきます。

神事の終わった大社は、怖ろしいほどの静寂の世界でした。





2011年10月31日月曜日

ひだりて


 
小さな生地のパーツを安定させるために、糊付けされた芯地を
アイロンで貼っていきます。

アイロンで糊付けされた小さなパーツ
でも、
右手で置かれたパーツは、ひらひらと向きを変えてしまっているのです。
作業するのに邪魔になる位置です。

表になる生地に影響が出ないよう工夫された、薄い薄い芯地です。

一生懸命アイロンをかけている彼女には
小さなパーツの行方は気にならないのでしょうか。

彼女に耳打ちしました。
最後まで、パーツから眼を離さないように、
そして、右手だけでなく左手も添えるように・・・。

左手を添えたパーツは、位置が定まりました。
台の上で作業の邪魔にならない場所に収まったのです。

もしかして、
左手って、心を持っているのでしょうか。

左手は意識の現われ
作業に、心を伝える左手です。







2011年10月24日月曜日

カーネーション


 NHKの連続ドラマ「カーネーション」の主人公は、世界的に有名なデザイナー
コシノ三姉妹のお母さん、小篠綾子さんの半生をドラマ化したものだそうです。

先日の土曜日、NHKの朝のトーク番組にコシノジュンコさんが出演されていました。

お母さんとの思い出ばなし
最近デザインされた着物風ドレスなど
お洒落な話の最後に、だんじりの話をされました。

「だんじりのはっぴ姿が大好きです。
はっぴ、ユニフオームには、
皆でそろえて着るかっこよさ
強さ、たくましさがあります。
今の日本、そんな強さや元気さを持ちたいですね。」

一人ひとりに、異なった心や形を持つ私たち。
でも、ユニフオームは
そんな一人ひとりの心を強くつなぐ
「絆」だったのです。



2011年10月17日月曜日

脇あわせ


 半分に折って重ねられた身頃
一緒に半分に折られた衿
上側になった衿をはね、下側を左手でつかみます。
右手はそのまま下側の肩先をつかみます。

そのまま一振り、
後ろ身頃と前身ごろは自然にそろって前に押し出されます。
そろった裾
後ろ身頃をロックミシンの押さえの下に挟みます  
固定された後ろ身の上に、前身を重ね合わす事で一度に手が決まります。

合わせた裾、脇にある合印を揃えて右手でしっかりつかみます。
左手は身頃に手を沿え、やさしくミシンを踏み込みます。
すると後ろ身と前身の脇のラインは自然にそろって前に進むのです。

何回しても、
商品は違っても 添える手つきは一緒です。
流れる手は
やがて、やさしい商品に生まれ変わります。

先輩から後輩に受け継がれていくのは流れる手と
製品に対する想いです。

何よりも何よりも
一番に伝えないといけない事でした。

2011年10月11日火曜日

神様の女房


 「神様の女房」は、松下幸之助とその奥さんの半生をドラマ化したものでした。
ドラマの中で見る幸之助は、弱虫で泣き虫でその上怒りん坊でした。
当時なら、何処にでも居りそうな亭主関白の人でした。

上司と喧嘩して独立した電気会社
造っても造ってもソケットは売れません。
初めての注文は他社の製品の加工でした。

爆発的に売れ始めたのは、二股のソケット。
一度に二つの事が可能になったのです。

その時、幸之助が奥さんに伝えた言葉

「僕は成功の秘訣がわかったよ
それは成功するまでやり続ける事だ」

なんて素直な、なんてわかりやすい言葉でしょう。

私は単純な事を複雑に見ていたかもしれない。 
 
工場は物を生産する所です。
商品を作って初めて利益が生まれるのです。
利益が出なければ
工場はやがて、立ち行かなくなるでしょう。











2011年10月3日月曜日

グルメ


 最近有名になっている 「B級、ご当地グルメ」が岡山で開かれるらしい
一回見に行ってみよう!
そんな主人の言葉に誘われて秋風の爽やかな日曜日
高速道路は山々を通り抜け、豊かな自然の真庭市につきました。

会場のスタジアムまでは駐車場からバスで送迎
バスの中でいただいた資料では、全国から111団体が参加されているそうです。

会場は、スタジアムの外まで出店が並び人が溢れ、参加団体も呼び込みに一生懸命です。

どのお店の前も、並んで待っている人達で列は長くつづいています。
二人で半分づつにすれば いろいろ食べれるね。
あっという間に順番が回り、用意されていたパックにつめた焼きそば
デミカツ丼も、どんぶりのパックに用意されていました。

一番の長蛇の列は、テレビで放映されているB級グルメの大会で優勝された「甲府の鳥もつ煮」
テントの中ではもつを作る人達が、沢山のなべをかき混ぜながら汗だくです。

「持ち帰れるようにパックに詰めて下さい」
「持ち帰り用は、お断りしているのです。この場で食べて下さいね」

「美味しい、さすが優勝のご当地だけはあるね」
熱々の鳥もつを美味しそうにほおばる主人、

焼きそばは麺が伸びてふにゃふにゃです、タレも薄味になっています。
せっかくのデミカツも冷めてしまってはだいなしです。

大勢の人の中、待っていただいて作るのは、待つ方も作る方も大変です。
美味しさ、手早さどちらをとるのか
お客様の要望に応えるのは大変です。


2011年9月26日月曜日

効率


 「一枚、特急でお願いします」

工場のラインは、すべての工程をぬぐうように特急の一枚が流れます。
それは、効率の悪い仕事でしょうか?

「能率、効率」どう違うのでしょう

ネットで調べてみました。

一般的に「能率」は一定の期間でこなせる仕事の絶対量を表すのに対し、「効率」は仕事の成果とそれに要するさまざまなコストとの相対的な比較を表す傾向があります。

  a. 一時間で書類を10枚処理できる → 一時間で書類を15枚処理できる
  b. 費用1000万で1200万の売り上げ → 費用500万で1000万の売り上げ

a.の例は一定の時間を基準に絶対的な仕事量が増えています(10枚→15枚)が、このような場合は一般に「能率が上がった」と言います。
一方 b.の例では絶対的な成果は減少しています(1200万→1000万)が、相対的に見るとより少ないコストで多くの成果を得ています。普通このようなときは「効率が良くなった」と言います。

工場はたえず時間との戦いです。

決められた時間内に、かかわった人たちで
どれだけの生産を上げることができるか。

欠席する人もいます、早退の人も遅れてくる人もいます。
急遽急ぎのものが投入されます。

日々、人と物との中で時間が追いかけっこしています。

でも、最優先はお客様
品質、能率、効率どれもがお客様目線

リミットは、高い目標に向って走っているのです。



2011年9月20日火曜日

なでしこ力


 なでしこジャパンの佐々木監督の著書
「なでしこ力 さあ、一緒に世界一になろう」が
売れているそうです。

月曜日の朝の報道番組
そんな佐々木監督に視聴者からの質問

「イラッとする事はないのですか」

「イラッとしたら反省、ほとんどは自分のせい」


毎日出てくる検査からの返品
言葉も環境も違う社会
品質の感覚にずれがあっても当たり前

でも伝える方法は、きっとあるはず

「イラッとしたら反省、ほとんどは自分のせい」

佐々木監督の言葉をかみ締めるのです。



2011年9月12日月曜日

コンサート


 小さなコンサートに 行きました

全盲の青年、ともひこ君の歌を聴きました

何でも聞こえる僕の耳
何でも聞こえる僕の耳

お母さんが手話で、ともひこ君と歌われます

うなずいただけでは わからない
みつめているだけでは わからない

僕と一緒に歌おうよ
僕と一緒に歌おうよ
・・・・

黙っていてはわからない
澱んでいてもわかりません。

小さな池に投げた小石

波紋の隙間から見えてきたもの
声に出して伝えてほしい
声に出して見つめてほしい

きっと今日より
新しい明日が見えるはず。

2011年9月5日月曜日

本当の自分


 人は変わることが出来るのでしょうか。

いやな仕事から逃げるため
増えていったお酒の量

アルコール依存症の治療は
入院中だけのアルコール逃避だったと回想されます

「病気は本来ないんだよ」

お母さんの一言が、彼の人生を変えたそうです。

人が見えているのはほんの一部分
隠れた所に本当の自分があるのだと
自分でも意識していない
本当のすばらしい自分があるのだと

そんな体験談を聞きました

人ってすばらしいな
有難いな
とあらためて思うのです。





2011年8月29日月曜日

仕事服


 重ね着できるベストには、重ね着できるワンピース、
もちろん、大好きなスタンドカラー

今日は違うお店に行ってみよう、
でも迷ったあげく結局買ってしまうのは
スタンドカラーのワンピース

色も着まわし出来るよう
結局ベージュになってしまいます。

でも、良いんです

どんなに高価でも、気に入らないお洋服は
二度と着たくないのです

仕事がら、自由な発想をという事で
ユニフオームがありません。

ベージュとよく合う、絣と黒をモチーフに
そんな仕事服が
あったらいいな
お客様一号になりたいな

そんな夢を見ている
6?才の私です。




2011年8月22日月曜日

伝えていくもの


 入社して40年が過ぎようとしています。
残された時間 何が出来るだろう

過去

壊す事で
成長していくもの
壊す事で
生み出されていくもの

そんな経験を何回もしてきました。

摩擦は大きく
抵抗は厳しく
それでも会長は
首を縦に振りませんでした。

追求していたのは
自分自身との戦い
何よりもうれしいのは
成し遂げた喜び

そんな喜びを
伝えていきたい。







2011年8月17日水曜日

こんぴらさん


 お盆休みの最終日
海をわたってこんぴらさんに行きました。

じりじりと照りつける太陽
アスフアルトに跳ね返る熱気
うるさいセミたちの声を聞きながら
登り始めた石段は
登っても登っても、
見えないところに 次の石段が待ち構えているのです。

「これが最後の石段だよ」

勾配の急な石段は
見上げても石段しか見えません。

いち、に、
主人が数えてくれる段の数を聞きながら
足元だけをみつめて
一歩一歩すすみました。

「ななじゅう、」

爽やかな樹木の香りと一緒に
心地よい風が通り抜けていきます。

まだまだ、一歩一歩だな
まだまだ、







2011年8月9日火曜日


 「絣音頭と久三郎」という題で、元民族博物館館長の
山名洋通先生のお話を聞きました。

いただいた資料には、冨田久三郎が弘化元年浮織りの研究を始め
嘉永6年、備後で初めて絣が織られたと記されていました。

福山出身の木下夕爾によって作詞された
「備後絣音頭」

一、ハァー
  肩を並べたあの学舎の
  忘れられよか 筒井筒
  藍の香りが 藍の香りがなつかしや

   
六、ハァー
  昔 有地の富田の翁
  伝え弘めて 誇りを今に
  備後絣の 備後絣の品のよさ

井筒とは、昔井戸を囲っていた筒の事を言うのだそうです。
真上から見ると井桁の形をしています。

絣はそんな人々生活の中で育った織物だったのでしょうか。
厳しい自然の中で、自然と共に生活してきた
貧しくても働く誇りを失わないぞ
素朴な柄粋の中に、そんな心意気を感じるのです。

富田久三郎が広めた備後絣
木下夕爾があえて、広めたではなく弘を使ったのは
弘法大師の弘を使ったのは、
そこに仏教的意味合いがあると
山名先生は説明されました。

田畑を耕し、自然を敬い自然と共に暮らしてきた人たち
絣に込めた思いは
働く事への感謝の思いだったのでしょうか

受け継がれていく「備後絣音頭」は
その心も一緒に 
受け継がれていくのです。


2011年8月1日月曜日

祈る


 京セラを創業された稲盛和夫さんの言葉を、人づてに聞きました。

創業間もない京セラに 海外からの注文
何度繰り返しても 希望通りの製品が出来ない
その時、当時の社長稲盛和夫さんの言葉

「君達は祈ったか」

最後は祈るしかない
そこまで徹底してやり遂げたか
そこまで徹底して行動したのか

どんな苦しみにも
どんな厳しさにも向かっていく心
行動してこそ創られていくもの

常に自分に 「私心なきや」 と 問いかけられる 
稲盛和夫さんの
厳しくて優しい言葉を 教えていただきました。






2011年7月25日月曜日

掃除


 やせ細り、目がくぼみ精気のない顔の妹がそこにいました。
主人、義母を相次いでなくした妹は、一人子の姪と二人暮らしでした。
いつも二人寄り添って生活していました。
姉達の、助言は耳に入りません。

そんな妹家族が、相次いで入院したのです。

暮らす人がいなくなった家を、掃除に行きました。

いつの間にか溜まってしまったレシートやお知らせの封書
十年以上昔の領収書も整理されないまま
机の中や棚の上に置かれています。

ほこりをかぶった書類や備品を分類しました
動かされた事のない家具たちを引っ張り出しました。
隅にはホコリが固まって絨毯のようになっています

テレビやパソコン氾濫するコードを分類します。
カーテンをはずしサッシの汚れを落とします。

開け放された窓からさわやかな空気が、流れ始めました。

一時帰宅を許された妹は、すがすがしい空気を吸いながら
感謝の言葉を伝えてくれました。

頑なになった心に、優しい風邪がふきました。新しい風がふきました。

知らない間に 汚れと一緒にはびこってしまう邪気は
知らない間に 人の心まで頑なにしていたのです。







2011年7月19日火曜日

雨上がり


雨上がり、
病院に向かう車窓から
緑の山々が遠くに見えます。

天使のようなやさしい寝顔
時々、笑顔に見えるのは
神様が笑ったとき、 

お兄ちゃんになった二歳の長男君
一生懸命自分の立場を理解しようとしています。

二人の子供の、お父さん お母さん、

そして、二人の孫のおじいちゃん おばあちゃん

それぞれに
それぞれの立場を学びます。

雨上がり、
自然は、今日も大きく両手を広げてまっているのです。



2011年7月11日月曜日


 東日本大震災
被災された人たちを勇気づける言葉が、テレビで紹介されていました。

マイナスからのスタート、多くの困難をプラスにかえていった経営者
松下幸之助氏の言葉と共に その半生も紹介されていました。

「会社は公器、人々の生活を豊かに幸福にするのが私たちの役目」

世界大恐慌、未曾有の不景気に倉庫は在庫の山。
人員整理を提案する役員達に病床の幸之助氏が語ります。

「松下は断じて首切りはしない、これからもっと会社を大きくしたい
その時に大切な人材だ。」

「志を失ってはいけない、災害で一番怖いのは、志を失う事だ。
志があればやがて困難を乗り越えて復活できる、幸せになれる」

伊勢湾台風で被災された社員に かけられた言葉です。


「これから、新しい時代がやってくるよ。
今こそ、絶好のチャンスだよ」

80歳を過ぎても創業当時と同じように
一生懸命、夢を語る会長

明日の、支払いに奔放していた時代
会長の語る夢だけが
皆の心のささえでした

2011年7月4日月曜日

しあわせ


  「人は幸せだから、感謝するのではない
感謝するから、人は幸せになれる」

中学校の恩師だと紹介のあった先生は
終始にこやかな笑顔で
思い出と一緒に
はなむけの言葉を送ってくださいました。

純白のベールの下で
大きな瞳を輝かせて微笑む末っ子は
幼い頃のあどけなさがぬけません。

どうぞ幸せでありますように
どうか幸せでありますように


「人は幸せだから、感謝するのではない
感謝するから、人は幸せになれる」

また、先生の言葉を思い出すのです。

2011年6月27日月曜日

首回し


 首をゆっくり縦にまわしました。

頭はまっすぐ宙を仰ぎ
あごを前に突き出し
ゆっくり、ゆっくり
前から後ろに引いていきました。

腰が緩み、肩の力がぬけていきます。

頭は天に向かい
あごを後ろに引き
ゆっくりゆっくり
後ろから、前に回します。

背骨が緩み、整ったきがしました。
その上に首が座ります。

人は、立って歩いています。

自然に立つ中に
健康の源があるのだそうです。

そして、今日も自分に言い聞かすのです。

「やさしく、しなやかに ていねいに」






2011年6月20日月曜日

人参


 子供の頃にかいたやさしいにおいが恋しくて
春まだ遠い二月、人参の種を、まきました。

風と共に飛んでいってしまいそうな
土の中で埋もれてしまいそうな
ひ弱なひ弱な人参です。

細かく耕した土の上に浅い溝を作り
人参の種をまきました。

その上にぬれた新聞紙を、かぶせました

一週間、二週間、そっと新聞をめくって
芽の出具合を観察します。
勢いよく出揃ったのは三週間目
乾ききった新聞を取り除き
寒さよけのネットをかけました。

「もうネットを取ったほうがいいよ」と主人

「まだ寒いから・・」

太陽の光を浴びなかった人参は、
葉っぱばかりが大きくなりました。

もっと柔らかいはずだったに人参は
なぜか頑なです。頑固です。





2011年6月13日月曜日

武者修行


 大雨の降る中、熊本城に行きました。

反り返った石垣は、武者返しと呼ばれていました。

坂道を登ってバスは駐車場につきました。
ガイドさんの差し出してくださった傘を差し
ふきつける雨にぬれながらやっと大手門につきました。

雨はいっそう激しく風も吹いています。

大手門の前に広場があります。
そこを通らないとお城には入れません。

いっそうひどくなる雨脚、

一緒に門の下で雨を避けていた4人連れ
傘を差して雨の中を広場に向って行こうとした時
革靴は水に浸かってしまいました。


広場に入るには、たっまってしまった水の中を歩いて渡らなくてはいけません。

すぐ前にお城は見えているのに・・・

小さなお堀に やむなく引き返した現代人の私たち、
今、武者修行中なのです。


2011年6月6日月曜日

青年


 古い友達が、ショップをしているから行ってみようよ

そんな主人の言葉に誘われて尋ねたのは

静かに流れる芦田川の道沿いに建つ、ジーンズ工房

いろいろなテレビ番組でも紹介された工房は
社長の思いの詰まった商品がいっぱいです。

自ら着用

「自分が履きやすい、動きやすい、使い易いもの
小さな事にこだわって改良を重ねてきたんだよ」

だから、このズボンは僕のために作ったんだ。

「えっ」と驚く価格の商品は
通販でも人気の商品です

「ズボンはデザインも大事、でも機能はもっと大事」

愛くるしい丸いめがねのおくに
白くなった髭を、さすりながら

昔のままの青年が、そこにいました。



2011年5月30日月曜日

社風


 放映されていた日本のお弁当事情

駅弁もその一つ
紐を引っ張ると暖かくなるお弁当
開発したのは創業が明治時代の老舗のお弁当屋さん

何度も失敗を繰り返しながらたどり着いた工夫の数々
でも、あえて特許申請はしなかった
皆に使ってもらって、多くの人に喜んでもらいたいから

手法や技術は真似ることができます

でも開発途中の皆の笑顔
失敗した時の苦痛の日々
皆で思いを共有し
成功したときの感動は

だれも、まねることが出来ません。

温厚な笑顔の中に
見えたのは
代々受け継がれた信念の社風です。





2011年5月23日月曜日

働く


 何気なく見ていた新聞の片隅に 掲載されていたニュース。

毎日報道されている東日本大震災後の被災地の様子
掲載されていたのは、老人ホームで働くインドネシアからの研修生のお話

働いていたホームが地震で崩壊
インドネシアの政府が全員帰国させたそうです。

でも、ホームの人たちが心配と、
家族の反対を押し切ってまた日本にやってこられました。

写真に写っているのは、車椅子を押す女の子

その笑顔は底抜けに明るい。

震災前と比較して、景気の悪さを訴える私達
本当にそれでいいのでしょうか。

売り上げだけがすべてではない

今だからこそ、今だからこそ
働く喜び
働ける幸せ
働く事の意味を自分に問うてみるのです。

底抜けの笑顔は、ホームの人だけではありません 私に勇気をあたえてくれました。



2011年5月16日月曜日

きつつき


 NHKの番組、ダーウインが来た を見ました。

今回の放送は、北海道の中央部、富良野の森にすむ日本最大のキツツキ・クマゲラ。

幻の鳥とも呼ばれ、本州では白神山地など、ごく限られた場所でしか見ることの
出来ない鳥だそうです。

手付かずの自然の残る富良野の森には、100羽ものクマゲラが暮らしています。
クマゲラは大きさも日本一なら木に穴をあける力も日本一。

スゴイのが、木を使い分ける巧みな知恵。
巣作りは「天敵が近づきづらい」まっすぐに伸びた大木、
夜休むためのねぐらは「大きなスペースが作れる」広葉樹・・・、

木を使い分ける驚きの知恵を駆使し クチバシ一本で厳しい北の自然を生き抜く
巨大キツツキ・クマゲラなのです。(NHKホームページより)

きつつきは一日中木を掘っています。
でも、木を掘ることで生活しているのではありません。
木を掘ることそのものが、生活だと番組は結んでいました。

自然は、厳しい環境の中で子孫を残すための様々な知恵を授けました。

関東大震災、自然は私たちに厳しく立ちはだかりました
でも、インタビューに答えた人達は涙をぬぐって答えます。

「必ず、復活させます」

今一番、復興の妨げになっているのは、私たちが自ら作った巨大エネルギー
なのでしょうか。

2011年5月8日日曜日

岩谷寺


 二月、雪の中やむなく引き返した岩谷寺は、登っても登ってもその姿が見えません。

今日は会長が歩かれるお偏路路を、二人で登っています。

道沿いに生い茂る木々の間を、一歩一歩かみ締めるように登りました。

上から降りてくる人達が「こんにちは、まだまだ石段は続きますよ、気をつけて
登ってください」 声をかけて降りていかれます。

少し平らにカーブした所にいすが置いてあります。
会長はここで、衰えた足をさすって休憩されるのでしょうか。

石段の両脇に沢山のお地蔵様が、両手を合わせて多くのお遍路さんを迎えています。

石段はなおもカーブしながらお地蔵様と一緒に、上に上にすすみます。

やがて、切り立った岩肌 いいえ、岩とは言えない 今にも風で飛んでいきそうな風化
した岩山が 突如眼上に現れました。

資料には岩の中に空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して
本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊とした、
と記されています。

ろうそくの明かりを目印に、真っ暗な洞窟の中を手探りで登りました。

怖いくらいに厳しい、そして優しい不動明王はがっと目を見開いています。

「140回のお四国は、自分との戦い」

会長の言葉が、聞こえます。

  

2011年5月2日月曜日

観自在寺


 どうしても確かめたくて
連休の初日、主人と二人向ったのは
お四国、四十番札所 観自在寺

町並みをぬけた交差点の奥に
山門だけが、見上げる二人の前に現れました。

石段を上りきると、お腹をぐっと押してくる強い力
山門の下には結界線がありました。

手を清め口をすすいで お堂の鐘を突きました

緩やかな上り坂の奥に、どしっりと構えた本堂

清水寺のような大きな柱
左に緑の木が茂り
その左に
はすの花に乗った観音様

夢枕に現れた光景が 目の前にありました。

見えない糸をつないでいただいた観自在寺、
すがる人を抱えるように
両腕を大きく広げて
静まりかえっていたのです。





2011年4月26日火曜日

寒い朝


 今朝も寒い朝を向えました。

どうしたのでしょう

きゅうりの苗が育たない
畑に植えたオクラの苗が枯れてしまった。

主人は畑を見ながらぼやきます。

いつもなら芽を摘まなくてはいけない程、ジャガイモは成長しているはずなのに
土から除いた緑の葉っぱがなかなか大きくなりません。

どうしたのでしょう。

このまま、夏がこなかったら

そんな事を考えてみた事もありません。
そんな事がおこるはずもありません。

毎年同じように春はめぐってやってきました。
夏も必ずめぐってくるはず。

当たり前、当たり前
当たり前と思っている事がいかに多い事でしょう。

自然は、私たちに今日も問いかけているのです。

2011年4月18日月曜日

本業


 厳しい経済環境が予測される中、一つ一つの経費の見直しが行われています。
仕入れをおさえ、物の使い方や方法を考えなくてはいけません。

それは、とても大切な事です。
普段から考えなくてはいけない事です。

でもそれだけで、利益が出るのではありません。

私たちはメーカーです。
物つくりをするメーカーです。

工場の使命は、生産です。

10枚出来ていた枚数を11枚出来ないか
たえず考え努力するのです。

抑えられたコストが、利益を生んでくれるのです。

それは、自力です。
自分達との戦いです。

どんな時も、本業を忘れてはいけないのです。



2011年4月11日月曜日

新入社員


 縫いあがった製品に間違ったボタンホールをあけてしまいました。
このままでは製品になりません。

4月に入社したばかりの新入社員
「これをみな解きますね。」

前身ごろにステッチをきかせたかっちりタイプのジャケット。
13枚のジャケットは机の上に束ねておいてあります。

研修期間中の新入社員

二人は心配そうに見上げます。

まず、衿を半分はずしました。一枚終わったらもう一枚、
衿が外れた13枚の製品は机の上に重ねます。

さあ、今度は肩を解きますね。

ステッチは、こうして解いてね。

「はい」

時計の音がやけに大きく聞こえます。

一つ一つの工程は目標です。
一つ一つの工程は区切りです。

ひとつをやり遂げたとき
湧き上がる達成感。

小さな達成感の積み重ねが
やがて、大きな達成感につながるのです。

頑張れ、新入社員

 

2011年4月4日月曜日

春の日


 眼下に瀬戸内の海が広がっています。

穏やかな春の日曜日
出雲大社、福山分祠の館長さんのお話を聞きました。

皆、ご先祖様に手を合わせます
手を合わせお祈りいたします

でも

天皇陛下にお会いしたいと思っても
直接お会いする事は出来ません。
侍従を通してはじめてお会いできます。

会社でも、社長さんにあいたいと思ったら
受付を通らなくてはいけません。

ご先祖様も 手を合わせばお会いできるのではないのです

お父さん、お母さん、
ご両親をとおして
はじめてあえるのです

つながる事が出来るのです。

小雪の舞う冬の日
ほうかぶりをして
黙々と麦を踏む両親の姿が、涙の向こうに見えました。

2011年3月28日月曜日

言葉


 風邪のせいで、いがらぽかった声がついに出なくなりました。

伝えたい事、言いたい事はいっぱいあるのに 言葉になりません。

一日、何も話せなかった会社からの帰り道

気がつくと、
感情がないのです。

人は言葉を出すとき、先に頭で考えて言葉を出していると思っていました。

でも、言葉が出せなくなったとき感情が消えました。

人は言葉を出すから、そこに感情が生まれるのでしょうか。

思いが先ではなく、人は言葉によって
感情がコントロールされるのでしょうか。

優しい言葉を出そう
思いやりの言葉をかけよう
明るい言葉を伝えよう
元気の出る言葉を伝えよう

自分の運命をあかるく導くのは 言葉、言霊だったと知りました。



2011年3月22日火曜日

有難い


 「津波がきます、逃げてください にげてください」
ラジオから聞こえる町役場の避難の呼びかけをききながら
必死に逃げ切ったと語られていたご婦人

やがて町役場は、その声と一緒に津波にのまれていきました

中国からの研修生を高台まで非難させ
引き返した専務は水の中の人になりました。

東日本巨大地震からあっという間に10日が過ぎました。

連日報道されるニュースは瓦礫の山を写しています。
本当にこんな事があったのだろうか。
悪夢を見ているのでは、嘘のような現実です。

被災に合った人たちが語られる

家も、会社もすべてなくなったけど
命があっただけ有難い

有難い、ありがたい

つらい苦しい現実の中で

涙をぬぐいながら語られるのです。





2011年3月14日月曜日


 恐ろしい事が起こりました。
これが事実とは思えない現実でした。

時に、自然は恐ろしい力となって私達を襲います。


それでも必死で生きていたい。
生きのびていきたい。


明日を信じて
明日あることを信じて
今日も両手を合わすのです。



2011年3月7日月曜日

法要


 法要で、お説教を聞きました。

例に出されたのは、パナソニック創業の松下幸之助氏

入社試験のお話
筆記試験を受かり最終面談に残った人たちに
幸之助氏から最後の質問

「あなたはこれまでの人生、運が良かったですか、悪かったですか」

人にはそれぞれ、いろいろな悩みがあります。
思い通りにならない事ばかりです。

でも、運が悪かったと答えた人は不合格になりました。

気がつかない間に私たちは、いっぱい不満をかかえてしまいます。
でもそれは自分が発信した結果です。
いやな事の原因は実は自分にあったと気がついたとき
それは感謝に変わっていくのです。

自分が今ここにいる事に感謝した時
自分は運が良かった、幸せだと思えるのです。

法要の鐘の音は
小さな振動となって
いつまでも耳の奥で鳴り響いていました。

2011年2月28日月曜日

プロフェッショナル


 NHK、ドキュメンタリー番組 「プロフェッショナル」 を見ました。

魂のデパ地下、情熱の売り場と題した番組
苦戦が続く百貨店業界の中で、一年前にオープン
二割近くの売り上げを伸ばした とあるデパートの地下食品売り場

そのフロアの開発責任者を、カメラは追いかけていました。

低迷を続けていたデパ地下、
ゼロからの出発を誓った彼がまず一番にした事

それは
フロアの床磨き
ふと気がつくと、フロアにかがんで掃除をしているのは彼だけでは有りませんでした。

「売り場に魂を」

責任者自ら売り場に立つ
作り手の思いを共有する

共に商品を売っていく仲間
売り場に商品が並ぶだけではなく
そこに魂がこめられなければ決して成功しない
オリジナルの商品開発に加えて、それを売り込んでいく販売員たちの改革だ。

リミットも、
魂をこめて作った商品
情報化の時代に
魂をこめて売っていくのです。

2011年2月21日月曜日

納期


 工場の中は様々な商品が縫われています。

お客様からすでに注文をいただいている商品
倉庫に入ってお客様の注文を待つ商品、
それぞれの商品の行き先は違っています。

でも、
生産現場は一つ一つの商品に納期があるのです。
生地が裁断され、縫い上げられ、プレスされていきます。

一つ一つの工程に、一人ひとりに納期があるのです。

それは、私たち一人ひとりが持つコストです。

時間と共に発生するコストです。

黙々と働いた八時間

「お疲れ様」

夕日を背に
皆の笑顔が輝いて見えるのです。






2011年2月12日土曜日

理想


 理想とするのは

皆が黙々と仕事をする工場です。

語らなくても、しゃべらなくても
必要なものが必要なときに
整然と出来上がる工場です。

なぜこの動作が必要なのだろう
なぜこの会話が必要なのだろう。

そぎ落としそぎ落とし
磨かれていくのは技術です。

そぎ落とし、そぎ落とし
研ぎ澄まされていくのは
こころです。

貴方に向う心です。

2011年2月7日月曜日

すずめ


 柔らかな光がさしこむ 穏やかな朝でした。

突然の電話は、ご恩のある方の訃報の連絡でした。


側にいるとふるさとに帰った気がする
お母さんのにおいがする人でした。

多くの方に幸せになってもらいたい
いつも人のことばかりを考えている方でした。


お悔やみへの帰り道

空は青く澄んでいました。
川はきらきら輝いていました。

冬枯れの木にすずめがとまっています。
小さな体を震わせながら
皆でおしゃべりをしています。

いつもと変わらない
いつもと変わらない一日が 今日も始まっていました。

2011年1月31日月曜日


 「混植・密植型植樹」を提唱し活動されている 
横浜国立大学名誉教授 宮脇昭先生の講演を聞きました。

物とエネルギーがあり溢れた時代。

宇宙の偶然で出来た地球

4億年の命を受け継いでいる私たち。

何のために私たちは、今日を生きているのか

冒頭、83歳とは思えない強い口調で先生は問いかけられました。

人間が、自然の森や土地に手を入れ
人工的な森を作りました。

そのために起こしている台風や地震などの二次災害

神戸の大震災で人々の命を守ったのは
科学の力を結集したセメントで固まった建物でも、
アスファルトでもありませんでした。

人や建物を助けたのは
木々に神様がやどると信じ、自然を拝み敬い
昔のままの森を残した鎮守の森でした。

映像の中
土地本来の潜在自然植生の木群を中心に植えられた木々は
不可能と思われた砂漠に、森を作っていました。

本気ですか、
本気ですか、

エネルギッシュな言葉は
会場中に響きわたりました。





2011年1月24日月曜日

お四国(2)


 「きらびやかなお堂、外車が何台もあるお寺
なぜだか好きになれない」

何年か前、初めてお四国について行った時の副社長の言葉です。

「それは、私のせい」
 
ムッツリとしていたお寺の住職さんに、ご記帳のお願いはいやでした。
そんな自分の心の反映だったと 会長は伝えます。

両手を高く上げ、拝むように記帳本を受け取られた住職さん
笑顔で、ご苦労様の声が聞こえます。

すべては自分のせいと、気がついたのは百回を越えた頃から

一人での旅支度も
一人での暮らしも
足腰の元気の元

「ありがたい、有難い」

今日も、会長はかすれた声で

 「ありがとう」

        を伝えます。




2011年1月16日日曜日

お四国(1)


 会長の四国巡礼についていきました。

「運転、代わりましょうか?」

副社長の言葉に

「これは私の修行、自分との戦いの第一歩」
微笑みながら運転席に座られます。

140回の巡礼をささえたもの

それは
ご先祖様への熱い思い、
強固な信念と強い意志

40万キロの道のりは、一回も事故なく走れた事への
感謝に代わります。

三坂峠、標高700m超えの岩屋寺

小雪の舞う山道は
登るごとに温度が下がります。

会長の緊張が、運転席から伝わってきました。

2011年1月10日月曜日

生地


 下積みになっている生地たちを
一つ一つ整理していきました。

使いかけの生地は
小さな巻きから大きな巻きまで様々な生地がありました。

紺、グリーン、ピンク
時代のヒーローたちは、ひっそり裁断場の隅で小さくなっていました。

40年の歴史
がむしゃらに追いかけた新商品。
ヒーローにさせてやれなかった
多くの商品がありました。

でも、
一つ一つに歴史がありました。
一つ一つに想いがありました。

暗くなった倉庫の中

整然と整理された生地たちが
輝いて見えました。






2011年1月5日水曜日

おめでとうございます。


 明けましておめでとうございます。

2011年の仕事始めは 社長の年頭の挨拶から始まりました。

先行きの見えない時代
大切なのはコミニュケーション

一人ひとりの能力の向上を目指し
組織はたてに横につながり
より強固な網目となって
一点集中
新しい時代を切り抜けて生きたい

春に迎える新入社員
固定費のアップは、社長の信念の表れです。

年末に買い物に行ったお店の主人、

日本人て素晴らしいですね。
年明けの最初にする事のすべてに
初めという言葉を使うのは日本だけです。

仕事始め、書初め、初稽古
あっ、だから仕事納めというんですね。

決して終わる事のない
明日へ明日へとつながっていく

目指すのは、会長の目指した百年企業です。