「絣音頭と久三郎」という題で、元民族博物館館長の
山名洋通先生のお話を聞きました。
いただいた資料には、冨田久三郎が弘化元年浮織りの研究を始め
嘉永6年、備後で初めて絣が織られたと記されていました。
福山出身の木下夕爾によって作詞された
「備後絣音頭」
一、ハァー
肩を並べたあの学舎の
忘れられよか 筒井筒
藍の香りが 藍の香りがなつかしや
六、ハァー
昔 有地の富田の翁
伝え弘めて 誇りを今に
備後絣の 備後絣の品のよさ
井筒とは、昔井戸を囲っていた筒の事を言うのだそうです。
真上から見ると井桁の形をしています。
絣はそんな人々生活の中で育った織物だったのでしょうか。
厳しい自然の中で、自然と共に生活してきた
貧しくても働く誇りを失わないぞ
素朴な柄粋の中に、そんな心意気を感じるのです。
富田久三郎が広めた備後絣
木下夕爾があえて、広めたではなく弘を使ったのは
弘法大師の弘を使ったのは、
そこに仏教的意味合いがあると
山名先生は説明されました。
田畑を耕し、自然を敬い自然と共に暮らしてきた人たち
絣に込めた思いは
働く事への感謝の思いだったのでしょうか
受け継がれていく「備後絣音頭」は
その心も一緒に
受け継がれていくのです。
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