2011年8月9日火曜日


 「絣音頭と久三郎」という題で、元民族博物館館長の
山名洋通先生のお話を聞きました。

いただいた資料には、冨田久三郎が弘化元年浮織りの研究を始め
嘉永6年、備後で初めて絣が織られたと記されていました。

福山出身の木下夕爾によって作詞された
「備後絣音頭」

一、ハァー
  肩を並べたあの学舎の
  忘れられよか 筒井筒
  藍の香りが 藍の香りがなつかしや

   
六、ハァー
  昔 有地の富田の翁
  伝え弘めて 誇りを今に
  備後絣の 備後絣の品のよさ

井筒とは、昔井戸を囲っていた筒の事を言うのだそうです。
真上から見ると井桁の形をしています。

絣はそんな人々生活の中で育った織物だったのでしょうか。
厳しい自然の中で、自然と共に生活してきた
貧しくても働く誇りを失わないぞ
素朴な柄粋の中に、そんな心意気を感じるのです。

富田久三郎が広めた備後絣
木下夕爾があえて、広めたではなく弘を使ったのは
弘法大師の弘を使ったのは、
そこに仏教的意味合いがあると
山名先生は説明されました。

田畑を耕し、自然を敬い自然と共に暮らしてきた人たち
絣に込めた思いは
働く事への感謝の思いだったのでしょうか

受け継がれていく「備後絣音頭」は
その心も一緒に 
受け継がれていくのです。


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