2013年3月25日月曜日
研修
今年の研修課題は、新商品開発
工場で物づくりをしている皆で、自分達が着たい物を作ってみなさい。
社長からの課題でした。
20年前、新しいCAD・CAMシステムを投入した新工場が完成した時
工場は創造センターと名づけられました。
それは与えられた物を作るのではなく、自ら生み出す、創造するそんな意味合いがあったのです。
30年前のあの日、
「今日から企画に」会長は一言でした。
売れる物が出来なかったらどうしよう。
言い知れない不安が襲いました。
「好きな物を作ればいいんだよ」、また一言
「そうだ、自分がお客様一号になろう」
がむしゃらに走り続けた30年でした。
反省ばかりの30年でした。
でも徹夜で縫った新商品、今も販売の上位にいるのです。
苦しんだ分結果はついて来るよ。
そしてそれは喜びに変わっていく。
副社長は不安そうな社員に語りかけるように伝えます。
大切なのは自分自身の意識の問題。
つまり 「思うこと」
そして、それを持続する事によって夢を実現する事が出来るのです。
ベットの上から なおも「極限の精神」を伝える会長です。
2013年3月18日月曜日
青い鳥
五木寛之の新幸福論という本を読みました。
その中に「青い鳥の去ったあと」 という章がありました。
「幸福の象徴としてよく使われる「青い鳥」貧しい木こりの子供、チルチルと
ミチルが夢の中で幸福の青い鳥を求めて旅をするが結局見つからない。
ふと、目が覚めると自分が飼っていたキジバトが青い鳥に変っていた」。
でも、原作はその後にも続きがあって、結局その青い鳥は窓から外へ
飛び立ってしまったのだそうです。なんだか、辛くなってきました。
そんな時、里帰りしていた長女夫婦からこんな話を聞きました。
ボランテア活動をしている友人、貧しい国と思っていたカンボジア
でも決して自分達は貧しいと思っていない、不幸と思っていない。
「かわいそう」は、豊かさを知っている国の人達が思うこと、今が幸せ、
彼らの笑顔は屈託がない。
ボランテアの意義を改めて考えさせられたというお話でした。
作者は 「おわりに」 の中で、
百万人の人間がいれば 百万通りの違う幸福があると結ばれていました。
幸せの象徴、「青い鳥」は初めから形が無かったのでは、
ふとそんな事を思ったのです。
暖かな春の一日
市内マラソンに参加しての帰り道、眠ってしまった孫達の寝顔は
そよ風のようです。
2013年3月11日月曜日
カキピー
「嘘みたいに元気になったよ。」
今日こそは行ってみよう、
主人と二人、お土産のカキピーを持って
病室を訪ねました。
病室はどの部屋も入り口のドアが開いています。
沢山の看護婦さんが忙しく働いておられます。
元気の良い看護婦さんの声が常に聞こえます。
開け放されたドアから見えるのは、
寝たきりの方かなと思えるようなお年寄りです。
でも、病院独特のいやな匂いがありません。
「看護婦さんが病室も掃除をしているよ」
身軽にベットに座った会長の声は晴れやかです。
病院中が動いています。
「看護婦さんが病室も掃除をしているよ」
身軽にベットに座った会長の声は晴れやかです。
病院中が動いています。
病院中が生活しています。
寝たきりの患者さんたちの耳にも
生活の音が聞こえています。
皆、生かされた命を
精一杯生きておられる。
駐車場に続く廊下にも
看護婦さん達の元気な足音が響いていました。
2013年3月4日月曜日
カタログ
カタログ出陣式が執り行われました。
第一回がスタートしたのは17年前、1996年でした。
当時の様子を会長の著書「極限の精神」から紐解いてみました。
「1月31日、大安の日に吉備津神社の宮司に来ていただきカタログ出陣式を執り行いました。」
紙面には営業のいないリミットが、カタログに込める思い、販売店であるお得意様こそが
営業担当者、販売しやすい喜んでいただける体制つくりを誓っていました。
そして
「環境破壊が問題になっている時に大量の紙を使うのは問題だと痛感いたしました。
紙の価格も50%値上がりしたそうです。この価格の問題でカタログ通販の会社が収益が悪化
対策に苦慮している、これから何かの変化が起きます。
この夏のカタログは一部の画像の工程をリミットが分担しています。」
20年近くの歳月
大量に積み上げていたカタログは半数に減りました。
今年のカタログには
「スマホ」の大きな文字が
紙面では見えない情報が秘かに隠れているのです。
還暦を過ぎた私には、考えると解らない事だらけです。
でも、人は人でありながら、
時代は変化し、変化し続けています。
2013年2月25日月曜日
会議室
「誰の金だと思っている」
2月18日の日本経済新聞に、こんな見出しで 日航・稲盛和夫氏の言葉と
取材記事が載っていました。
いつものように 「よう、聞きょうれよ」
大声で読みあげる主人
JAL本社25階の会議室いつものように会議は淡々と進んでいた。
「あんたには10億円どころか一銭もあずけられませんな」
「予算だから必ずもらえると思ったら大間違いだ。
あなたはこの事業に自分の金を10億円つぎ込めるか、
誰の金だと思っている。会社の金か、違う、この苦境の中社員が地べたをはって
出てきた利益だ。あなたにそれを使う資格はない。帰りなさい」
まるで自分が言っているかのように
胸をはって大声で読んでいた主人の声が急に止りました。
「6月下旬のある日、一人の役員が立ち上がった。」
途切れ途切れの声です。
「私が間違っていました。
稲盛さんのおっしゃるような経営をしていたらJALはこうなっていなかった」。
夢に向かって、家庭も家族も仕事を守るのが必死な時代でした。
若くして京セラを立ち上げ、KDDIを立ち上げられた
私心なきや、稲盛和夫氏のその一生懸命に、まじめに正直に、そんな生き方が、
明日が見えない心に勇気を与えてくれたのでした。
2013年2月18日月曜日
ラジオ
インフルエンザでお休みしている孫の子守をしながら
たまたま見かけたNHKのトーク番組で森山良子さんのお話を聞きました。
四歳のお孫さんのお話
「ラジオから流れてくる歌声に、何処から聞こえてくるのだろう
不思議に思ったのでしょうね。
ラジオから出てくる声を、
両手ですくうようにして、そーとそーと渡してくれたんです。」
何気なく出してしまった言葉
両手でソーと渡していたら
どんな言葉になっていたでしょう。
心が言葉を運んでくれると思っていました。
でも、言葉が心を運んでいたのです。
つらい心に、苦しみを重ねてしまったかもしれません。
毎週楽しみにしていた大河ドラマ
重なる年齢とともに
だんだん、悲しいシーンは見れなくなっていくのです。
2013年2月12日火曜日
室戸
徳島から海沿いの国道を車は進みます。
当たりは暗くなり、太平洋の波の音だけが耳に残ります。
フロントに出迎えて下さった明るく清楚な女性
もしかしたら、かすかな期待で胸が膨らみました。
握った手をはなすと、目には涙がいっぱいです。
微笑んで会長の近況を尋ねてくださいました。
「いつも、ここで皆の働く姿を見ておられたんですよ」
「皆、良い所を必ず持っている。それを見つけて伝えてあげると、最高の笑顔になるんだ。」
「皆誰でも、いい所を持っているんだよ」 は、会長の口癖でした。
海抜500m以上の鶴林寺、そして太龍寺
傾斜のきつい石段を何段も登っていきます。
「この石段を100回以上登られたのか」
主人と二人言葉に出さずにはいられません。
何度、会長は足を止め、自分と戦われたのでしょう。
厳しさに立ち向かう会長の心を慰めてくださった多くの人達は今日も笑顔です。
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