2011年5月30日月曜日

社風


 放映されていた日本のお弁当事情

駅弁もその一つ
紐を引っ張ると暖かくなるお弁当
開発したのは創業が明治時代の老舗のお弁当屋さん

何度も失敗を繰り返しながらたどり着いた工夫の数々
でも、あえて特許申請はしなかった
皆に使ってもらって、多くの人に喜んでもらいたいから

手法や技術は真似ることができます

でも開発途中の皆の笑顔
失敗した時の苦痛の日々
皆で思いを共有し
成功したときの感動は

だれも、まねることが出来ません。

温厚な笑顔の中に
見えたのは
代々受け継がれた信念の社風です。





2011年5月23日月曜日

働く


 何気なく見ていた新聞の片隅に 掲載されていたニュース。

毎日報道されている東日本大震災後の被災地の様子
掲載されていたのは、老人ホームで働くインドネシアからの研修生のお話

働いていたホームが地震で崩壊
インドネシアの政府が全員帰国させたそうです。

でも、ホームの人たちが心配と、
家族の反対を押し切ってまた日本にやってこられました。

写真に写っているのは、車椅子を押す女の子

その笑顔は底抜けに明るい。

震災前と比較して、景気の悪さを訴える私達
本当にそれでいいのでしょうか。

売り上げだけがすべてではない

今だからこそ、今だからこそ
働く喜び
働ける幸せ
働く事の意味を自分に問うてみるのです。

底抜けの笑顔は、ホームの人だけではありません 私に勇気をあたえてくれました。



2011年5月16日月曜日

きつつき


 NHKの番組、ダーウインが来た を見ました。

今回の放送は、北海道の中央部、富良野の森にすむ日本最大のキツツキ・クマゲラ。

幻の鳥とも呼ばれ、本州では白神山地など、ごく限られた場所でしか見ることの
出来ない鳥だそうです。

手付かずの自然の残る富良野の森には、100羽ものクマゲラが暮らしています。
クマゲラは大きさも日本一なら木に穴をあける力も日本一。

スゴイのが、木を使い分ける巧みな知恵。
巣作りは「天敵が近づきづらい」まっすぐに伸びた大木、
夜休むためのねぐらは「大きなスペースが作れる」広葉樹・・・、

木を使い分ける驚きの知恵を駆使し クチバシ一本で厳しい北の自然を生き抜く
巨大キツツキ・クマゲラなのです。(NHKホームページより)

きつつきは一日中木を掘っています。
でも、木を掘ることで生活しているのではありません。
木を掘ることそのものが、生活だと番組は結んでいました。

自然は、厳しい環境の中で子孫を残すための様々な知恵を授けました。

関東大震災、自然は私たちに厳しく立ちはだかりました
でも、インタビューに答えた人達は涙をぬぐって答えます。

「必ず、復活させます」

今一番、復興の妨げになっているのは、私たちが自ら作った巨大エネルギー
なのでしょうか。

2011年5月8日日曜日

岩谷寺


 二月、雪の中やむなく引き返した岩谷寺は、登っても登ってもその姿が見えません。

今日は会長が歩かれるお偏路路を、二人で登っています。

道沿いに生い茂る木々の間を、一歩一歩かみ締めるように登りました。

上から降りてくる人達が「こんにちは、まだまだ石段は続きますよ、気をつけて
登ってください」 声をかけて降りていかれます。

少し平らにカーブした所にいすが置いてあります。
会長はここで、衰えた足をさすって休憩されるのでしょうか。

石段の両脇に沢山のお地蔵様が、両手を合わせて多くのお遍路さんを迎えています。

石段はなおもカーブしながらお地蔵様と一緒に、上に上にすすみます。

やがて、切り立った岩肌 いいえ、岩とは言えない 今にも風で飛んでいきそうな風化
した岩山が 突如眼上に現れました。

資料には岩の中に空海は不動明王の木像と石像を刻み、木像は堂宇を建立して
本尊として安置、石像は奥の院の岩窟に祀って秘仏とし、岩山全体を本尊とした、
と記されています。

ろうそくの明かりを目印に、真っ暗な洞窟の中を手探りで登りました。

怖いくらいに厳しい、そして優しい不動明王はがっと目を見開いています。

「140回のお四国は、自分との戦い」

会長の言葉が、聞こえます。

  

2011年5月2日月曜日

観自在寺


 どうしても確かめたくて
連休の初日、主人と二人向ったのは
お四国、四十番札所 観自在寺

町並みをぬけた交差点の奥に
山門だけが、見上げる二人の前に現れました。

石段を上りきると、お腹をぐっと押してくる強い力
山門の下には結界線がありました。

手を清め口をすすいで お堂の鐘を突きました

緩やかな上り坂の奥に、どしっりと構えた本堂

清水寺のような大きな柱
左に緑の木が茂り
その左に
はすの花に乗った観音様

夢枕に現れた光景が 目の前にありました。

見えない糸をつないでいただいた観自在寺、
すがる人を抱えるように
両腕を大きく広げて
静まりかえっていたのです。