2009年5月25日月曜日

約束


 夕方、家にいた娘から届いていたメール

「○○さんのお祖父ちゃんが亡くなられたそうです。
皆で通夜に行くので7時には帰ってきてください、近所の皆さんからの伝言です」

95歳になられるその方は、いつも背筋をピンと伸ばし長い坂道を歩いて町まで買い物に行かれます。

学校の先生をしておられた○○さんは、お祖父ちゃんと呼ばれるのが嫌いでした。

「私は○○です。貴方のお祖父さんではありません。」

「お父さんは気難しくてごめんなさいね」
 いつも、謝られるのは5歳年下の奥様でした。




すでに内内でお葬式を済まされていたご家族は、ニコニコと私達を出迎えてくださいました。

昨年から帰省されていた息子さんご夫婦は、介護の日々を愉快にお話されます。

「食事はいらない」と言って(あかんべー)するんですよ、笑顔でお話される奥様。


こんな約束をしたんです。

「三途の川で待っているからね。」

奥様に残されたメッセージは、死を超えた暖かさが伝わってきます

4 件のコメント:

  1. 自分の死を覚悟しながらも奥様にのこしたメッセージ。
    あっちで待ってるから、安心して暮らしなさい。。。そんな意味なんでしょうか、、、
    別れでなく待ち合わせ場所にさえする器量の大きさ。
    自分の死よりも残される奥様のことを気にかける優しさ。
    人の優しさや、すごさに触れたとき、自分の器の小ささをどうにかしたいと感じてしまいます。。。

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  2. お二人で歩んでこられた長い歴史を感じながら大往生されたご主人、本当にお幸せだったのだと思います。
    leoさんの、お別れの言葉ではなく待ち合わせの言葉、に あらためてそうだったんだと受け止める事ができました。   いつも有難うございます。

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  3. 今年1月に祖母が亡くなりました。
    ほぼ寝たきりの状態から病院に入ったときに医師からは
    「覚悟しておいてください」
    と母に告げられたそうです。
    そのことを聞いた私でしたが、忙しさを理由に数回しかお見舞いにいきませんでした。
    私のことをあんなに大切にしてくれたのに。
    私の誕生をすごくよろこんでくれたのに。
    私が大病を患ったときには誰よりも心配してくれたのに。
    通夜、葬儀のときに私は泣くことができませんでした。
    ずっとお世話をしてくれた叔父、叔母になんだか失礼な気がして、ただただ、自分の人の接し方を呆然と考えていました。
    向こうで待っている祖父とまた会えたんでしょうか??
    私がもっと優しくしていれば祖母はもっとこっちにいてくれたかもしれないなぁ、、、
    なんて考えてると、誰もいないときに泣けてきます。。。
    いなくなったり、どうにもならなくなったり、手の届かないところにいったりしたときに、ようやく自分の過ちに気が付く私です。。。

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  4. 誰よりもleoさんを心配してくださったお婆様だったのですね。
    私も孫が出来祖母の立場に立った時、孫が愛おしくつい顔がほころんでしまいます。
    でも、孫の幼い笑顔を見るたびに、子供達にもっと優しく接してやればよかったと反省する事がたくさんあります。
    でも、あの時は、それが精一杯でした。人って、自分ってなかなか思い通りにはいかないですね。
    leoさんはきっと必死で毎日頑張っておられるのですね。
    だから、優しさの涙がこぼれるのですね。

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