2009年4月6日月曜日


 村に一本の老いた桜の木がありました。

はるか彼方まで続く緑の山々は、遠くなるほどその緑を濃くします。
春まだ浅い頃、見下ろした田んぼには掘り起こされた土たちがこげ茶色の肌を
むき出しにしています。
冬の訪れが早い村は、何処よりも早く春の息吹を感じるのです。

浅い緑のあぜ道を登ると、そこには古いお堂がありました。
お堂の側の草むらに、半分かれかけた桜の木。

大きな幹に何本もの小枝を重ね、
ピンクの衣は、田舎の空を独り占めしていました。


桜の木は、その年の終わりを、ピンクの花で締めくくります。

遅い春を迎えた年ほど、蓄えられたピンクの樹液が
花びらにより注がれ、いっそうピンクは色濃くなるのです。


 村に一本の老いた桜の木がありました。
 厳しい季節を乗り越えた桜の花は、いっそう鮮やかに
 その年をおわるのです。

 




4 件のコメント:

  1. ピンクの桜も、もちろん綺麗だけど、私は最近になって葉桜の青々しさに立ち止まって見入ることがあります。
    人は都合のいいときだけ桜をもてはやし、短命な花が散ってしまうと見向きもしません。
    桜の木は花びらを散らしてからすぐに、次の花を咲かせる準備をはじめます。
    もちろん、どんなことがあってもその場から動くことはできず、暑い日も寒い日も、風の日や雨の日も、たとえ害のある虫がついても、文句も言わず、逃げ出しもせず、じっとただ、ただ立ち続けます。
    それに比べて人は簡単に不平や不満を口にしたり、嫌なことがあればその場から離れることだってできたりもします。
    自然の風景には不釣合いなくらい鮮やかなピンクの色をつける桜の花。
    その色は私にとっては眩しすぎます。
    桜の木のことを思うと、鮮やかなピンクの花を眺めているだけで泣けてくることさえあったりします。
    そんな考えですから私自身、桜の木に励ませられたりもします。
    もう少し子供が大きくなったら私なりの桜の見方を教えようと思っています。
    ブログと関係ない書き込みで申し訳ございません。。。

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  2. 同じ桜の木でも一年の表情は様々です。
    本当に自然から学ぶ物ってたくさんありますね。
    自然を大切にされる、自然から、学ぶ事を忘れないお母さん。
    そんなお母さんに育てられた子供さんは、きっと愛情豊かな人に
    なられることでしょう。

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  3. 以前勤めていた会社のときによく通っていた道を久しぶりに通りました。
    5~6年ぶりくらいでしょうか、、、
    当時は車が行き違いするのがやっとの細い道路でしたが、大きく舗装され道幅も広く快適に通れるようになっていました。
    けど昔そこにあったはずのものはなくなっていました。
    道の脇にあった大きな桜の木-
    春にはもちろん満開の花をつけて、営業車から眺めるのを楽しみにしていました。
    夏は葉っぱの青さと空の青色のコントラストにわき見もしばしばでした。
    けど久しぶりに通った道には桜はいませんでした。。。
    ここを通る人は通行でイライラすることはなくなったのだろうけど、きっとここに桜があったことも忘れてしまったんだろうなぁ。
    そんなこと考えてると人の都合で切り倒された桜がかわいそうでなりません。。。
    便利の代償、つねにそのことを考えないといけないのかもしれません。

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  4. 私達はよく考えてみるといつも何かの犠牲の上に便利さや豊かさを味わっているのですね。
    我が家は家を建てたとき、庭の草取りをするのがいやでセメントで廻りを固めてしまいました。
    草を抜く事はなくなりましたが土を殺してしまったかもしれません。
    最近になって草取りをしたくなってまいりました。自然が恋しくなってまいりました。
    あの時自分のわががまが自然を殺してしまっていた事を今改めて感じます。
    leoさんをいつも癒していてくれていた桜の木、春は花、夏は緑、そして秋の紅、冬は雪をしょっていたかも知れませんね。
    leoさん、いつも優しい心をありがとうございます。

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