2008年5月7日水曜日

絣から (工場変革)


日本三大絣といえば、「久留米」「伊予」「備後」があげられます。
中でも広島県福山市の備後絣は、機械化で量産に成功、飛躍的発展を遂げました。

江戸時代に始まり、明治元年に大阪で量販の道を拓いた備後絣は、1960年前半に
全国シェアの七割を占めるほど、生産していたといわれています。

幼い頃の記憶の中に、お母さんといえば 「絣のもんぺ」姿が浮んできます。

やがて洋装中心の、新しいファッションの台頭や、海外の製品に押されて、絣はいつ
の間にか、その姿を消していったのです。

絣に代わって発展したのは、繊維産業でした。
40年前、町には集団就職した人達であふれ、行きかう車にはぎっしり積み込まれた
製品、町は繊維と共に発展していました。
 
 
リミットは、絣の賃加工から始まりました。
やがて、男性の作業服を中心とした加工から、女性の作業服へ、そして、アパレル
メーカーへと、 社長(現会長)の夢は膨らんでいきました。
 

時代は、備後をアパレルメーカーから やがて、流通業へと変えてしまいました。


四年前のリフィンスタート時、わずかに残った国内工場は、中国での計画生産の
フォロー役として、 わずかに機能していたにすぎなかったのです。

 

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