2008年5月19日月曜日
出会い(工場変革)
その年は、小雨のよく降る春でした。
勢いでスタートした工場は、作業服しか縫った事のない古参の社員達と分離させ、
日本生命ビルの中にある企画室の中に設備を整えミシンを置き、小さな工場を作り
ました。
高校を卒業した女の子たち3名は、まだ幼さの残る少女達。
ミシンを初めて踏む少女もいました。
縫製指導に白羽の矢が立ったのは、わずかに縫製経験のある私。
内心どきどきしながら、運針練習の日々が過ぎていきました。
それは、思いもかけない出会いでした。
チーフが たまたま勉強会で知り合った女性、
彼女は、有名ブランドの工場で縫製指導をされていた人でした。
一年間工場指導をお願いし、岡山から新幹線で通勤、縫製経験のある派遣社員
一名と一緒に、アイロン掛けから縫製指導が始まりました。
厳しさに泣き出す女の子達、
それでも、懸命に指導は続きます。
売れないサンプル商品は、いつの間にか机の上をいっぱいにしています。
専務は見ない振りして通り過ぎます。
やがて、工場は新市の本社工場と統合、改めて7名のライン編成でスタートしたの
ですが、工場の設備は何一つ、彼女のめがねにかなったものはなかったのです。
その年の10月、カタログが創刊されたその頃、工場はやっとブラウスが縫えるように
なったばかりでした。
やむおえず、「縫製は確か」と、評判の外注工場で縫ってもらったジャケットは、
彼女の 検査基準を超えません。
結果、一枚ずつ手直しをして、出荷をすることになったのです。
幸いな事に、
縫い直して出荷しても、大丈夫な程の、注文量でしかありませんでした。
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