2015年5月25日月曜日

役目


 40年の歳月の中、沢山の商品が生まれては消えていきました。

配色のパステルカラーがかわいくて、エプロンと組み合わせて、ボトムもこだわって作りました。
でも時代に合わなくなってきたのでしょうか。
大好きだったポロシャツは、気が付くと廃番傾向の商品リストに上がっていました

どちらかと言えば中高年向きと思えるデザインだけど(若かった頃のお話です)、無難な色だけど
でも、そんな商品が40年間上位を独占しているのです。
こんな機能もつけたいな
こんな機能があればきっと喜ばれる
でもこだわればこだわるだけ、職種は限定されていきました。
コストも上がっていきました。

バブルの弾けた痛恨の時代、皆を元気にしたくて明るく華やいだ色をつけました。
ユニホームぽくない色を、一般衣料のようなシックでおしゃれな色をつけました。

過去の時代を生きてきた商品たち
明日の時代をを生きていく商品たち
華やぎの役目をしてくれる商品たち
縁の下でひたむきに会社を支えてくれる商品たち
一つ一つの商品に課せられた役目がありました。

そして商品は、皆に支えられ育って行きました。
一人一人その役目を遂行するとき
商品もその役目を果たしていくのです。













2015年5月18日月曜日

定番

「誰からも愛され信頼されるスモックの定番」
リミットのカタログにこんな言葉で紹介されているL-6600スモック。
そもそも定番ってどんな商品の事なのでしょうか。
定番はどの様にして育つのでしょう。
ネットでは、ていばん【定番】とは。
 (安定した需要があり、台帳の商品番号が固定しているところから)流行に左右されない基本的な商品。とありました

今まで私が思っていた定番商品は、10人の内7人の人に気に入ってもらえたら
その商品は定番として育っていくと思っていました。
ユニホームは大勢の人が同じ服を着なくてはいけません。
一人一人年齢も好みも体型も違う働く人達です。
その色も、もっと明るい、もっとシックな、と人によって好みが違います。
もしかしたらその商品を選ばれたのは、会社のオーナーの方かもわかりません。
では、その七人の人は、本当に100%満足してくださっているのでしょうか。
紺色は顔が引き締まって見え年齢、体型を問わず、誰もが着ておかしくないた色でした。
昔から女性の仕事着として定着していたスモックに衿をトリミングした商品は、ちょっとおしゃれに
見えました。
そして、着てみないとわからないのがパターンです。
男物から出発したユニホーム、そのパターン作りは女性の胸の厚みを平面で捕らえたものでした。
会長は、ある日大きな決断をしたのです。
リミットの商品のパターンを、すべてやりかえる。
そして、東京から著名な先生に指導に来に来ていただいたのです。
やがてトラブルを何回もを繰り返しながら、二年間の歳月を掛けてすべての商品のパターンが見直しされました。
若い人は、若さでどんな商品も着こなせます。
でも、年をとるごとに平面的なパターンは、なんだかだらしなく見えるのです。
胸の厚みを立体的に捕らえたパターンは着てみて始めてわかります。
だらしなく見えた肩から首下はすっきり、なんだか背筋が伸びた気がするのです。

デザイナーブランドはこの商品がいい、このブランドが好き、といって下さる
一人の人が100%以上満足してくださる事を目指します。
ユニホームを着てくださる人達は、年齢も体型も、好みも、一人一人違う人達です。
すべてを満足していただく事は出来ません、でも70%満足してくださったから。
そして、決定してくださる方の思いもしっかり受け止めたから。
それが、定番になるのでは、だから、定番として育ってきたのでは、。













2015年5月1日金曜日

父へ


 目をつむると思い出すのは、いつも笑っている父の姿です。

絵が大好きだった父
老人大学で習った水彩画は70歳過ぎての手習いでした。
残された父の部屋には小さな皿が何枚も重ねてありました。
途中止めで完成されていない絵もたくさんありました。

水彩画はその色の濃淡さえも、顔料の一色一色で決まるのだそうです。
たくさんの皿の上に絞り出された顔料、
でも、絵筆につけたその一滴がシミになると 完成間じかの絵も駄目になってしまいます。
「アーもう止めた」
いつも東の窓に机を置いて太陽に向かって絵筆を握っていた父。
太陽に向かって、父は何度この言葉をつぶやいたのでしょうか。

「やさしい線を描くのは簡単じゃ、でもとがった線は難しい。」
孫達によく話していた言葉だそうです。
父にもらった鯉の滝登りの絵
滝つぼを背に勢いよく飛び跳ねているはずの鯉
でも父の描いた鯉は、何時までたっても滝を上れそうにありません。
弓を引く若武者を乗せた競争馬、今にも駆け出しそうなはずですが、
父の描く馬は農耕馬でゆっくりゆっくり歩きます。

それはそのまま父の姿です。
どんな時にも温厚でいやという事の出来ない父でした。
でもそんな父が私たち姉妹の誇りです。
90歳を過ぎても畑を耕し、自然と会話する父が好きでした。