2014年4月28日月曜日

草取り


 四月に入って雨マークの多かった日曜日
今日は久しぶりの晴れマークです。
午後から出かけた畑には
夏の日差しの太陽が照り付けます。
葉っぱを広げたジャガイモと一緒に、草もしっかり根を下ろしています。
「どうしたら、早くきれいに草取りができるかしら」
何をするのもお仕事モードです。

ゴルフ日和の主人、西に太陽が傾きかけたころやってきました。
こんなに丁寧に抜かなくてもいいんだよ
どうせまた土かけをするんだから、根っこは残っても関係ないよ。
「・・・・」

朝、台所仕事をしているおばあちゃんの傍で長男君が一人で遊んでいました。
立体につながった道路をいくつも重ねて、大掛かりな高速道路が次々出来上がっています。

「おばあちゃん!」二階から呼んでいるのは次男君です。
降りてきた次男君、大きな目を輝かせて
「うわーお兄ちゃんが、一人で組み立てたんかー」
今まで聞いたことのない大人言葉です。
お兄ちゃんはとても満足そう、二人はまた夢中で遊び始めました。

素直な感動
素直な言葉
いつの間にか忘れて大人になりました。


2014年4月21日月曜日


 金曜日の読売新聞
悩んでおられる方の「人生案内」
その日は70歳の母親の方でした。
40歳代の二人の子供さんに距離を感じる、
一生懸命正しいことを伝えてきた自分の何処がいけなかったのか

先生の答えの最後に、こんな言葉が添えてありました。
親子の関係に終わりはありません。
ただ、子供を思うことと、思い通りにしようとすることは違いますね。

小さな会社、小さな工場
でもこんな工場にしたい、こんな現場にしたい
ずーと夢見ていた形がありました。
目覚めると「こんな取り組みをしてみよう」
寝るときも「明日はこうしてみよう」
寝ているときさえ夢に出てきます。

でも仕事は一人ではできません。
思い通りに動いてほしい
「夢」は押し付けに変わっていたのかもしれません。

雨上がりの月曜日
おおていた雨雲の隙間から、太陽がのぞいています。
春の息吹をいっぱいふくんだ光です。

2014年4月14日月曜日

宿坊


霧の中、宿坊の朝は凛とした空気が張り詰めています。
土で造られたお堂の中は、体の芯まで冷え込んできます。

会長の名代で訪れた 高野山、別格本山「總持院」
早朝、唱和されるお経はお腹から頭へと伝わってきます。

手を合わせ、目をつむると多くの人が山を登っていました。
ただ黙々と登っておられます。
辛さでもなく、苦しさでもなく、ただ黙々と
みんな同じように、ただ黙々と登られていました。
先達は、黒い袈裟を纏った僧侶、弘法大師様でしょうか。
ただ黙々とみんな同じように、下を向き登っておられるのです。

子供の事、孫のこと、若い修行僧の事、
これから先どのように育てていけばよいだろう、
どのように育ってくれるだろう。
思うのは自分を基準にしたまだ経験したことのない先のこと、
でも自分に、自分と同じように、思いをかけてくださったご先祖様を思う日がどれだけあるでしょう。
どれだけ多くのご先祖様が、自分に思いをかけてくださったでしょう。
辛い修行で逃げ出した時、兄弟子の厳しい声は優しさだったと今わかるのです。
ご住職は自分の思いを、説法に代えてお話してくださいます。

昨夜の小僧さん、ふすまを閉める音に、辛さが伝わってきます。









2014年4月7日月曜日

明日

 
 人は何かしら感じることがある。
それは肉体で考えるのとは違っている。
苦しみの中にハッと気がつくことがある。
それは、はるか遠い過去から繋がっている、気が感じるのです。
感じた気を素直に受けて実行する時、新しい未来が開けてくる。
こんなお話を聞かせてくださったのは、出雲大社分社の宮司さんでした。

一人ひとり一生懸命の命です。

「スポーツ伝説、光と影」で紹介されていたサーカーの天才少年だったセレッソ大阪の柿谷選手
二軍に落ちて屈辱の中でみえたのは、サッカーはチームで戦うもの

人はどこに向かって行こうとしているのでしょう。
時代は自分に何を求めているのでしょう。
そして、自分は何を取り組もうとしているのでしょう。
明日はどんな自分を求めているのでしょう、。
苦しんで悩んで行き先が見えなくなったとき
ふと聞こえるのは、神様の声でしょうか。

それは、自分につながるご先祖様の声。
はるか遠い過去から受け継がれた命の声。
私につながる命の声なのです。