2011年8月29日月曜日

仕事服


 重ね着できるベストには、重ね着できるワンピース、
もちろん、大好きなスタンドカラー

今日は違うお店に行ってみよう、
でも迷ったあげく結局買ってしまうのは
スタンドカラーのワンピース

色も着まわし出来るよう
結局ベージュになってしまいます。

でも、良いんです

どんなに高価でも、気に入らないお洋服は
二度と着たくないのです

仕事がら、自由な発想をという事で
ユニフオームがありません。

ベージュとよく合う、絣と黒をモチーフに
そんな仕事服が
あったらいいな
お客様一号になりたいな

そんな夢を見ている
6?才の私です。




2011年8月22日月曜日

伝えていくもの


 入社して40年が過ぎようとしています。
残された時間 何が出来るだろう

過去

壊す事で
成長していくもの
壊す事で
生み出されていくもの

そんな経験を何回もしてきました。

摩擦は大きく
抵抗は厳しく
それでも会長は
首を縦に振りませんでした。

追求していたのは
自分自身との戦い
何よりもうれしいのは
成し遂げた喜び

そんな喜びを
伝えていきたい。







2011年8月17日水曜日

こんぴらさん


 お盆休みの最終日
海をわたってこんぴらさんに行きました。

じりじりと照りつける太陽
アスフアルトに跳ね返る熱気
うるさいセミたちの声を聞きながら
登り始めた石段は
登っても登っても、
見えないところに 次の石段が待ち構えているのです。

「これが最後の石段だよ」

勾配の急な石段は
見上げても石段しか見えません。

いち、に、
主人が数えてくれる段の数を聞きながら
足元だけをみつめて
一歩一歩すすみました。

「ななじゅう、」

爽やかな樹木の香りと一緒に
心地よい風が通り抜けていきます。

まだまだ、一歩一歩だな
まだまだ、







2011年8月9日火曜日


 「絣音頭と久三郎」という題で、元民族博物館館長の
山名洋通先生のお話を聞きました。

いただいた資料には、冨田久三郎が弘化元年浮織りの研究を始め
嘉永6年、備後で初めて絣が織られたと記されていました。

福山出身の木下夕爾によって作詞された
「備後絣音頭」

一、ハァー
  肩を並べたあの学舎の
  忘れられよか 筒井筒
  藍の香りが 藍の香りがなつかしや

   
六、ハァー
  昔 有地の富田の翁
  伝え弘めて 誇りを今に
  備後絣の 備後絣の品のよさ

井筒とは、昔井戸を囲っていた筒の事を言うのだそうです。
真上から見ると井桁の形をしています。

絣はそんな人々生活の中で育った織物だったのでしょうか。
厳しい自然の中で、自然と共に生活してきた
貧しくても働く誇りを失わないぞ
素朴な柄粋の中に、そんな心意気を感じるのです。

富田久三郎が広めた備後絣
木下夕爾があえて、広めたではなく弘を使ったのは
弘法大師の弘を使ったのは、
そこに仏教的意味合いがあると
山名先生は説明されました。

田畑を耕し、自然を敬い自然と共に暮らしてきた人たち
絣に込めた思いは
働く事への感謝の思いだったのでしょうか

受け継がれていく「備後絣音頭」は
その心も一緒に 
受け継がれていくのです。


2011年8月1日月曜日

祈る


 京セラを創業された稲盛和夫さんの言葉を、人づてに聞きました。

創業間もない京セラに 海外からの注文
何度繰り返しても 希望通りの製品が出来ない
その時、当時の社長稲盛和夫さんの言葉

「君達は祈ったか」

最後は祈るしかない
そこまで徹底してやり遂げたか
そこまで徹底して行動したのか

どんな苦しみにも
どんな厳しさにも向かっていく心
行動してこそ創られていくもの

常に自分に 「私心なきや」 と 問いかけられる 
稲盛和夫さんの
厳しくて優しい言葉を 教えていただきました。